2018年3月24日土曜日

ハイデッガーの『存在と時間』1



本日は曇り後雨で暗い一日
週末が近づくと、目覚めが微睡に変わるようだ

昨日のハイデッガーについての記事の印象をここで簡単にまとめておきたい
ハイデッガーとナチスとの関連については、広く論じられていると思う
以前のブログでも結構取り上げている
ハイデッガーの二つの顔 (I)(2006-07-09)
ハイデッガーの二つの顔 (II)(2006-07-10)
ハイデッガーの二つの顔 (III)(2006-07-11)

ハイデッガーさんの 「科学は考えない」 を考える (2012-01-11)
ハイデッガーの 『黒のノート』(2014-02-11)
1931年から41年にかけて書かれた『黒ノート』が4年ほど前に出版された
そのことに関する当時の記事が二つあった

特に発見はなかったが、最近取り上げた認識により、その意味がより明確になってきた
その認識とは、啓蒙主義が唱える普遍主義と地に根ざした考えとの対立である
ハイデッガーは1933年にナチスに入党し、大戦終了まで党に留まった
彼はユダヤ人が西欧世界を動かしているのではないかという強い懐疑を抱いていた
その普遍主義により、自分の民族の血が犠牲になるのではないかという恐れである
それを救うのがナチスではないかとの期待を抱いていた可能性がある

普遍主義には自由主義や民主主義や共産主義が内在している
ハイデッガーには共同体や伝統を破壊し、帝国主義的にもなり得るこの思想への嫌悪があった
それはロシアやアングロ・サクソン文化への嫌悪にも繋がった
そこで行われる思考の凡庸さ、味気無さに耐えられなかったようである
私流に言えば、第三層の思考が行われない世界と言えるかもしれない

反ユダヤ思想の持ち主の哲学から学ぶべきものはあるのか、という問いがある
これまで読んできたものの中には、全否定する人もいた
その一方で、反ユダヤ主義的ではない部分からは学ぶべきところがあるとする人もいる


ここで、サイモン・クリッチリー教授の『存在と時間』についての考察を読んでみたい
1927年に発表されたハイデッガーの主著である
アングロ・サクソンの分析哲学者とは違い、大陸のこの哲学者の影響は甚大であった
哲学の外でも、建築、芸術、社会政治理論、精神医学、心理療法、神学などに及んだ
そこで目指しているのは、哲学の伝統の破壊であると宣言している
伝統的権威を受け入れるのではなく、世界の生きた経験の根本にまで掘り下げようとした
そのために、新しい言葉を造った

人間は、Dasein(現存在)と呼ばれる
英語では、being-there、「そこに存在しているもの」となる
孤立しているのではなく、他の存在とともに世界の中にいる存在である
その上で、「存在は時間である」となる
人間は生と死の間の存在、あるいは死に向かう存在という意味である

真の(authentic)人間とは、そのことを常に意識している人間のことである
生の有限性を理解して、その存在であるところのものになろうとする人間のことである
ハイデッガーの場合、生の有限性(死)の問題を神との関係では考えない

(つづく)





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