2017年9月24日日曜日

日本の活動準備で貯蔵庫が見える



今日は生温い空気が漂っていた
翻訳の校正を進めていたが、これまでに送られてきた分を何とか終えることができた
でも、まだ全体の四分の一くらいである
先は長そうである

来月から日本での活動が始まる
その準備をいくつかする
これまでもそうだが、最後の最後まで全体像が見えてこないことが稀ではない
今回もまだぼんやりしたままである
以前はこの状態に耐えられなかったのだが、ネガティブ・ケイパビリティを知ってから楽になってきた
より正確には、生の状態のものを雑然としたまま入れられる大きな貯蔵庫ができたような感覚がある
これも瞑想生活のお陰ではないかと思っている







2017年9月22日金曜日

試みる価値



本日はいつになく集中できたようだ
瞑想生活から省察生活への大変換のせいだろうか
先日、こちらの生活ではすべての時間がマインドフルネスにあるのではないかとの感想をいただいた
そういう見方はしていなかったが、瞑想というものを考えれば理論的にはそうなるのだろう
まあ、それに近い状態かも知れない

ところで、来月の日本でもう一つ予定が加わる可能性が出てきた
以前であれば大変なはずなのだが、どうもその感覚がないようだ
確かめようはないのだが、以前から気付いているこれまでの瞑想生活の効果ではないのだろうか
自分でそう想像しているだけではあるのだが、、

今回もどのような結果を生み出すかのは終わってみなければ分からない
そうだからこそ、試す価値があるのだろう
それは一日を歩み始める前にしても同じことである




2017年9月21日木曜日

ウンベルト・エーコ著 『ファシズムを見分ける』 を読む



先日のパリのリブレリーで、昨年亡くなったウンベルト・エーコさんの小冊子が目に入った
1995年4月25日にニューヨークのコロンビア大学で行われた講演をまとめたものだ
タイトルは、『ファシズムを見分ける』 となっている
2000年に出たエッセイ集 『道徳の五つの問題』 には、「永遠のファシズム」として入っているという
日本では1998年に 『永遠のファシズム』 として訳されているようなので、相当遅い気付きであった

前半では、特に第二次大戦前後の自らの体験を中心に語っている
そこから Ur-fascismeという概念を生み出している
ウルファシズム(原ファシズム)とは、原始的で永遠にそこにあるファシズムを指している
そして、その特徴を14挙げている (仏訳の原文はこちらから)
以下に簡単にメモしておきたい

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1) 第一の特徴は、伝統の崇拝(culte)である
伝統主義はファシズムよりも古い
ヘレニズム時代の終わり頃、古代ギリシャの理性主義への反動として生まれた

2) 伝統主義は近代主義を拒否する
ナチスのようなファシストは、テクノロジーを愛する
その一方、一般的に伝統主義者は技術を拒否し、技術を精神的な価値の否定と捉える
ナチスは工業的成功を誇るが、その近代性への讃辞は「血と地」に基づく表層的なイデオロギーだ
近代世界の拒否は資本主義的生活様式の非難によってカモフラージュされている
啓蒙時代、理性の時代の精神を否定していることを覆い隠している
その意味では、原ファシズムは非合理主義、非理性主義と定義できる

3) 非理性主義は、「行動のための行動」の崇拝に依存している
行動自体をよいものだとし、考える前に行動しなければならないとする
思考することは去勢のようなもので、文化は疑わしいものである
ゲッペルスは、「文化という言葉を聞いた時には、わたしは拳銃を抜く」と言っていた
知的世界に向けられる疑念は原ファシズムの症状である
ファシストの知識階級の主な仕事は、伝統的価値を捨てたインテリと近代文化を糾弾することである

4) いかなる形態のシンクレティズムも批判を受け付けない
批判精神は違いを確立し、識別するということは近代性の一つの特徴である
科学界は、知識を進歩されるための道具として不一致を捉えた
原ファシズムにとっての不一致は、裏切りである

5) 不一致は多様性の徴でもある
原ファシズムはコンセンサスを信じ、違いに対する誰にでもある恐れを利用してコンセンサスを求める
ファシズムの運動が最初に訴えるのは、よそ者である
したがって、原ファシズムは人種差別主義である

6) 原ファシズムは、個人的、社会的フラストレーションから生まれる
歴史的ファシズムの一つの特徴は、欲求不満を抱えた中流層に訴えることである
経済危機や政治的屈従により不利な状態に置かれ、社会の下層の圧力におびえているからである

7) 社会的アイデンティティのない者に関して、原ファシズムは彼らが特権を得ていると言い募る
ナショナリズムの源がここにある
さらに、国家にアイデンティティを提供できる者だけが敵になる
それが、原ファシズムの心理の根に陰謀の強迫観念が見られる理由である
陰謀が顔を出すようにする最も単純な方法は、外国人嫌悪に訴えることである
陰謀は内部からも来る
ユダヤ人は国内外で恵まれているので、格好の標的になる

8)ファシズムの信奉者は、敵のこれ見よがしの富や力に侮辱されたと感じる
しかし、彼らは体質的に敵の力を客観的に評価できないので、戦いには敗れざるを得ない

9) 原ファシズムにとって、生活のための闘いはなく、あるのは闘いのための生である
そのため、平和主義は敵との共謀になる
生は絶え間ない闘いなので、平和主義は悪である
敵は打ち砕かなけれならず、それは可能なので、最終戦がなければならない
そのため、この主義はハルマゲドン・コンプレックスを含んでいる 
その後に運動は世界の征服することになる
そこでは平和な時代が来るはずで、彼らの永続的な戦いと矛盾するが、その回答は出されていない

10) エリート主義は、基本的に貴族的なものとして、反動イデオロギーの典型的な側面である
歴史的に見ると、すべてのエリート主義には弱者に対する軽蔑がある
原ファシズムは、エリート主義を唱道することを避けることができない
リーダーは彼の権力が委任ではなく力で勝ち取ったことを知っている
その力が大衆の弱さに依存していることもである
そして、大衆があまりにも弱いので、支配者を必要とし、支配者の恩恵を受けているのである
社会にヒエラルキーができると、支配されているリーダーがその下の人間を軽蔑するようになる
その下の人間はさらに下の人間を軽蔑するという連鎖が生まれ、エリートの感情を強固なものにする

11) この見方に立てば、それぞれは英雄になるために教育されることになる
神話では英雄が例外的だったのが、原ファシズムではそれが規範になる
英雄崇拝は「死の崇拝」と密接に関係している
普通の人には、死は不快なものだが威厳を持って立ち向かわなければならないと言われる
ファシズム信奉者には、それが超自然的な幸福に至る苦しみを伴うやり方なのだと言うのである
原ファシズムの英雄は、英雄の人生における最高のご褒美であると言われている死を熱望する
死を熱望し、急ぐあまり、多くの場合、他人を死なせることになる

12) 原ファシストは、力の意志を性的問題に転換する
そこから、女性や同性愛者に対する軽蔑を含むマッチョが生まれる
性を扱うのは難しいので、原ファシストの英雄は性に代わる武器を弄ぶのである

13) 原ファシズムは、「質的ポピュリズム」に基づいている
民主主義においては、市民は個人の権利を享受している
市民の集合は量的な点においてのみ政治的重みを持つ
原ファシズムにとっての個人には権利はなく、「人民」は共有する意思を持った一つの性質である
人間の数には共通意志はないので、リーダーはそれを解釈することを望む
市民は委任の力を失い、行動せず、単に「全体のための部分」(pars pro toto)と呼ばれるに過ぎない
われわれの未来には、「テレビあるいはインターネットの量的ポピュリズム」が浮かび上がる
そこでは、市民から選ばれたグループの情緒的な反応が「人民の声」として扱われるようになる
量的ポピュリズムのせいで、原ファシズムは「腐敗した」議会政治に反対するのである
政治家が議会の正当性に疑いを発するたびに、原ファシズムの香りが漂う

14) 原ファシズムは、オーウェルが『1984年』で発明した「ニュースピーク」を話す
ナチスやファシストの教科書はすべて、貧弱な語彙と初歩の構文を用いていた
複雑で批判的な論証をするための手段を制限するためである
われわれは新手のニュースピークを見分ける準備をしなければならない
それが大衆向けのトークショーの一見無害を装っているような場合にでもである

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エーコ氏による原ファシズムは、近現代社会に常に潜んでいるもののようである
それが顕現化しているように見えるのが、最近の流れではないだろうか
この分析を読んだ後には、同じ景色が違って見えてくる
あるいは、より明確になると言った方がよいかもしれない
常に目を凝らしていなければならないということだろう








2017年9月19日火曜日

クリルスキー教授とのランデブー



今日はパリに出た
元パスツール研究所所長でコレージュ・ド・フランス名誉教授のクリルスキーさんとお会いするためだ
今、翻訳している本の著者でもある

今朝はトゥールの街行く人の殆どがコートやダウンのようなものを羽織っていた
わたしは夏の間も背広で通しマイノリティであったが、今日も背広でマイノリティであった
トゥールの駅で時間があったので駅の中のカフェに入る
すぐ横の席には二人の老紳士がランデブーである
お二方とも歩行がままならなくなっている
人生を感じる景色であった

時間通り、モンパルナスに着いた
人ごみの中を歩いている時、左肘に硬いものが当たった
振り返ると、迷彩服の男が抱えている銃であった
サンジェルマン・デ・プレまで出て、馴染みのカフェに入る
すっかりおしゃれになっている
マネジメントが変わったのかと訊いてみると、マネジャーを指して、以前と何も変わらないという
内装をすべて変えたのですねと言うと、マネジャーがサムスンのようにねと返してきた
目に見える日本製品がどんどん減っているようである


クリルスキーさんとの待ち合わせはコレージュ・ド・フランスであった
まず最上階の素晴らしい見晴らしの部屋に案内される
パリの町を殆ど360度の視界で見ることができる
気分が高まったところでカルチエ・ラタンのカフェへ
ワインとビールで貴重な情報と興味深いお話を伺うことができた

最初に、翻訳の労をねぎらっていただいた
今回、翻訳というものがなかなか大変な作業であることが分かった
始めたのが2015年の初めからなのでもう2年が過ぎようとしているが、まだ校正中である
これだけの間一冊の本に付き合っていると、いろいろなことに気付いてくる
まず、ざっと読んだ時には理解していなかったことが如何に多いかが分かる
それから、著者の頭の使い方が手に取るように分かるようになる
特に、論理の流れをどのように作っているのかなどは実に興味深い

これは以前にも触れているが、翻訳はほぼ不可能であるということも見えてくる
結局のところ、翻訳は訳される側の言語の問題に帰着する ことも分かる
アイディアは著者のものだが、出来上がったものは訳者の作品とも言えるだろう
原著とは全く別物になるという印象があるからである
それほど訳者の役割は重いということになる
哲学的な要素が加味された場合は尚更である

クリルスキーさんは定年後の活動としてRESOLISというのをやっていると聞かされた
紹介されたHPを見ると、本格的である
ソルボンヌ大学向かいのアパルトマンの一室にオフィスを構えているようだ
社会とのコネクションを視野に入れているとのこと
ポイントを Philosophie de l'action という言葉で表現していた

それから日本との接点が意外に多いのに驚いた
日本パスツール財団の前身である日本パスツール協会の創設に関わったことは知っていた
その他、コレージュ・ド・フランスと日本の大学の連携や大学のアドバイザリーボードもやられていた
日本の首相や都知事などとも会ったことがあるようだ
話の中に、Jean-François Sabouret という日本に詳しい学者の名前も出ていた

また、わたしの仕事を説明すると、興味を示していただいた
有難いことに、これからも議論をしていくことになった
フランスの科学と哲学を結ぶような研究機関のことも紹介していただいた
医学と哲学、科学と哲学などはまさにフランスの伝統と言ってもよいだろう
それがないところでは何かが欠けているという認識が生まれることになる
哲学的視点は極めて重要であるという点で意見の一致を見た

その話の後で、わたしが提唱している「意識の三層構造」についても話してみた
この見方は非常に説得力があるようだ
それ以降の会話がわたしの用語を使って進んだのには驚いた
日本の政治家がどの層を使っていると見たのか、興味が尽きないところではある
今回の翻訳した本などは第三層の動員が必要になるので、どれだけの方に受け入れられるのか
こちらも興味深いものがある

面白かったのは、イタリアの友人から聞いた話として紹介されたものだ
Philosophe municipal がいる自治体があるという
市や町の役所で公務員として働く哲学者のことだろうか
この話が本当であれば、町のお抱え哲学者は一体何をしているのだろうか
予約制で住民と世界の捉え方や哲学的問題について議論したりするのだろうか
こういう仕事であれば、やってみたいものである
ただ、住民にそれだけの余裕があるのかどうかが問題になるだろう
日本であれば、すぐに予算の無駄使いと批判を浴びそうではある
このような話が出てくるのがヨーロッパなのだろうか
そして、それを面白がるという感覚が何とも言えず良い


今回は省察すべき問題をいろいろ提起していただいた
お陰様でこころが満ちた状態で帰路につくことができた
これはランデブー前と後で何かが大きく変わったということを意味している
実は、程度の差こそあれ、よく観察しているとどんな前後にも違いはある
一日の始まりと終わりも例外ではない
その違いを味わうことこそ生きていることを確認することになるだろう

まさに、J’observe donc je suis である






2017年9月18日月曜日

常に準備状態




今朝もガスがかかっていた
この時期の特徴なのかもしれない
これまでと違った景色を見るのは、楽しいものである
お昼までには完全に晴れ上がってくれた

午後、外に出て、プロジェに当たる
省察生活に入ったせいか、これまでとは違い、その中に入りやすくなっているようだ
いつでも準備状態にあるという感じだろうか
まだ日は浅いが、これが継続されれば相当に大きな変化を起こしそうな予感がする





2017年9月17日日曜日

ジョージ・オーウェルの101号室のドキュメンタリーを観る



今朝は雨が降っていたが、午後から雨はあがった
向かいのグラウンドでは秋のラグビー大会が開かれている
スピーカーからのアナウンスが大きい

オーウェルの101号室についてのBBCドキュメンタリーを観る
オーウェルの世界がどんどん顔を出しつつある今、興味深い内容になっている
大きな疑問は、どうしてこのような流れが進行するのかということである

善いことをするには、時間を取って考えなければならない
抑制的なことをするのも同様である
時代の進行に伴い専門化が進み、その中に入り込まなければ生きていけない状況になってきた
どんどん競争的にもなって来る

その過程で、暇な時間や生きるために必要な仕事以外に向ける注意が急激に少なくなっている
権力を持つ者もそうでない者と同じになっているのではないか
そうすると、権力を自分のために使いたいという欲求に逆らうことができなくなるのである
それを間接的に許しているのが、仕事に忙しい多くの人たちということになるのだろう
21世紀の終わりにはどんな社会が現れているのであろうか









2017年9月16日土曜日

軽い興奮状態を味わう



今日は朝から快晴
プロジェに朝から当たる
途中、植物園に行ってみた
ベンチに座ってみる
そこは、集中でき、考えを羽ばたかすことができ、その気になれば書くこともできる場であった
発見である

戻ってさらに問題解決に当たる
午後には何とか終わらすことができた
その時の感覚は名状しがたいものがある
言ってみればテーズが終わった直後の感覚に近い
質的には似ているが、そのスケールはやはり比べものにならないのだが、、

軽い興奮状態を鎮めるために田舎道の散策に出た




2017年9月15日金曜日

瞑想生活から省察生活へ



今朝、シャッターを開けると、この景色
以前に見て驚いたが、今日も驚く
今日見られるとは思っていなかったからだ
徐々に霞が取れ、午前中には完全に晴れ上がってくれた
しかし、お昼過ぎ、明るい中、通り雨が降った

「今週のプロジェ」を抱えている
上の景色を見て2年前のブリュッセルを思い出し、嫌な予感がした
幸いなことに、朝のうちはぼんやりしていたものが、時とともにはっきりしてきた
ではあるが、終わりそうもない感触がある

しかし、この過程で極めて重要なことに気付いた
わたしにとっての大発見と言ってもよいだろう
これまで所謂プロジェと言われるものになかなか入ることができなかった
締切りが迫ってもそうである
今回もそうだったので、それがなぜなのか考えてみた

一つにはプロジェを形として捉えていることが分かった
これこれこういう形に仕上げなければならない、という声が先に聞こえるのである
これではなかなか始められない
そうではなく、最初に疑問や好奇心がなければならないという当たり前のことに気付いた

もう一つがさらに重要である
これまで長い間瞑想生活の中にあった
わたしの瞑想の定義は、何も考えずにぼんやりすることである
そして、何かが出てくるまで待つのである
そのようにして、かくも長きに亘って生活してきたことになる
何か具体的なものが最初にあるのではないので、そこに向かうためには大きなエネルギーを要する
プロジェに当たることなど、できれば避けたい精神状態なのである

わたしの中では、もう一つの精神運動がある
それは省察と名付けたもので、あるテーマを決めてから瞑想することである
この10年で瞑想についてはある程度見えてきた
ここに来て、つい先ほど、瞑想生活から省察生活に転換してはどうかという声が聞こえてきた
振り返ってみれば、この間省察という言葉を使ったことは殆どなかった

瞑想生活のデフォルトは、ぼんやりの状態である
それが、省察生活では最初から何らかのテーマがぶら下がっている状態に変わる
その何かは疑問であったり、好奇心が齎すものであったりするだろう
そして、そこから調べるもよし、読むもよし、瞑想に入るもよし、ということになる
プロジェを進めるには非常に良い状態になる

ただ、これ何のことはない、仕事をしている時と同じ状態に逆戻りすることである
違いがあるとすれば、瞑想という方法論が体の一部になりつつあることだろうか
この転換がうまく行けば、全く新しい段階に入ることになる
暫くの間、体に合うのかどうか、様子を見ることになるだろう





2017年9月14日木曜日

小さな芽を小さな実へ



昨日の夕方から風が非常に強くなった
今日は朝の内曇っていたが、お昼から明るい空が見えてきた
午後から外に出た

出掛けに一つの小さなアイディアが浮かぶ
このように小さな芽が出ることが多くなり、それを捉まえることができるようになっている
これも瞑想生活の効果ではないかと勝手に想像している
カフェで、その芽が小さな実になるまで時間をかける
この繰り返しも「わたしの真理」への道になるだろう

残念ながら、このような作業は科学の領域にいた時には殆どなかった
これがあるのとないのとでは、大きな違いを生むのではないだろうか
確かに、人生を仕事と仕事でない時期に分けた場合にはそうなるだろう
しかし、人生には生きるという仕事しかないと考えると、この反省はあまり意味がないだろう
科学での仕事はその一部、体験する時期に過ぎなかったと考えることができるからである





2017年9月13日水曜日

140年前のトゥール



今朝は残念ながら雨
その中を小学生が走っている
雨のせいか、今日は歩いているのはいないようだ

午後から雨が上がり、少し明るくなってきた
Youtubeに19世紀の科学者のドキュメンタリーが出てきたので観る
それから旧市街に出た

マスターと日本での予定について少しだけ言葉を交わす
お客さん、少々ムチャじゃない?という感じであった
しかし、一番心配しているのは、こちらの方である
兎に角、過ぎ去るのを見守るしかない

帰りは軽く雨に濡れた
郵便箱には宣伝のパンプレットが溢れている
捨てようとしたところ、トゥールの広報誌 Tours & Moi があったので少しだけ眺める

ロワールを含めてトゥールの町の観光を自転車で、というプロジェについての記事がある
140年前の馬が引くトラムの紹介もある
1877年にフランスでは6番目に走ったようだ






2017年9月12日火曜日

Au rendez-vous du botanique にて




今日は朝の植物園へ
ご老人や赤ん坊をカートに乗せた母親などが、静かな園内をゆっくり散策している
前回気付いたカフェに入ってみた
勿論、朝の時間からお暇な人はいないと見え、わたし一人であった
途中、本当に久しぶりに見る鶏が現れ、席のすぐそばまで来たが、ご主人に追い返されていた
朝の空気の中、プロジェに当たる
非常に気持ちよいのだが、光が強く画面が見えなくなったので場所を変えることにした

帰りに名前を訊いてみた
Au rendez-vous du botanique とのこと
ゆったりした名前で、なかなかよい
いずれデジュネでも、という気になってきた





2017年9月11日月曜日

新鮮な月曜の朝



新しい週が始まる
曜日は関係なくなったはずだが、やはり新鮮である

今朝は用事があり、街まで出る
何事もなかったようにことは終わる
この町の特徴である

もう秋の空気がそのあたり一面を覆っている
朝の月を見ることもできた
この目には大きな月に見えたのだが、写真にするとなぜか小さくなる

今日はどんな一日になるのだろうか





2017年9月10日日曜日

林住期と遊行期、再び



人生の時間割について、問い合わせがあった
それを読んだ時、以前に触れた林住期のことを思い出し、読み直してみた
こちらに来る年の春に書かれたものだ
その時、これからの自分に重ねて読んでいたという記述がある
いまでは、その後の重なり具合が一ミリのズレもないほどに感じられることに驚いている
以下に再掲したい




 2007年3月4日 
林住期 LA TROISIEME ETAPE DE LA VIE SELON BOUDDHISME


本屋に入ると、五木寛之著 「林住期」 が積まれている。その言葉には昨年末、山折哲雄著 「ブッダは、なぜ子を捨てたか」 を読んだ時に強く反応し、このブログでも取り上げている。

  2006-12-18 ブッダと子捨て 
  2006-12-19 ブッダと子捨て (II)

その時は完全に自分に重ねて読んでいた。そこから関連部分を転載したい。

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・・・ブッダの人生を次の三期に分けて考える。紀元前5世紀の誕生から結婚し家を出る前後までの 「シッダールタ (悉達多:しつだつた)」、家を出てブダガヤで悟りを開くまでの 「シャカ (釈迦、釈迦牟尼)」、悟りを開いて以降の 「ブッダ (仏陀)」 である。 

当時のインドではヒンドゥー教が力を持っていた。その教えのなかに人生の理想的なあり方を四期に分ける考え方があった。「四住期」という。すなわち、
 第一住期は、師について勉学に励み、禁欲生活を送る 「学生期(がくしょうき)」、
 第二住期は、結婚し、子供をつくり、神々を祀って家の職業に従事する 「家住期」、
 第三住期は、妻子を養い家が安定した段階で家長が一時的に家を出て、これまで果たすことのできなかった夢を実行する 「林住期」、
 そして最後は、ほんの一握りの人が到達できるステージで、彼らは家族のもとには帰らず、たった一人で遊行者の生活を送り、聖者への道を目指す 「遊行期 (ゆうぎょうき)」 あるいは 「遁世期 (とんぜいき)」 と言われる。


「林住期」とは、自由な時間と生活を求めて一時的に妻子、家を捨ててひとり遍歴の旅に出るもので、一人瞑想してもよし、巡礼の生活を楽しんでもよし、宗教や芸術の仲間との交遊に使ってもよい。この時期にシャカは再び「家住期」に戻るべきか、「遊行期」に進むべきか悩んでいたのではないかという。心を酔わせる自由と家を捨てる良心の呵責の間で悩み、そして決断した時期がシャカの人生にとってきわめて重要だったのではないかという。このことは同時に、父スッドーダナ(浄飯王:じようぼんのう)を捨て、継母マハーパジャーパティ(摩訶波闍波堤:まかはじやはだい)を捨てたことになる。血縁のわずらわしさからの逃避をも意味していたかもしれない。仏教の歴史には、脱血縁の思想が見られると山折氏は言う。


「林住期」 において、人間の世俗的な欲望を制御しようと努めていたはずだが、究極的には 「自己を捨てる」ということにつながることであった。その旅のなかで家族という血縁を捨て、村という地縁を捨てていったのだが、そのはじめの行為が子を捨てるということではなかったのか。異文化のなかを自分の足と眼だけで遍歴し、自分との絶え間ない会話をしながらブダガヤでの悟りに辿りついた。その思考過程から、「縁起」の理、「四諦八正(聖)道」 (したいはつしょうどう)、輪廻、五蘊(色・受・想・行・識)などが結晶する。

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丁度、パリ行きの機内で読んだので、向こうの何人かの友人に仏教における理想的な人生の送り方と 「林住期」 という時期の存在について話していた。

(以下省略)






2017年9月9日土曜日

瞑想と仕事



金曜から土曜に移る朝、一週間が物凄く長く感じられる
それは、もう月曜のようなのにまだ土曜だったのかという感覚で現れる
どこか非常に得をしたような気分になる
一日の時間を鷲掴みにしているような感覚の中、一日をたっぷり味わっているからなのだろうか
マインドフルネスに絡めて言えば、集中している「いま」が一日に及んでいる、となるかもしれない

問題は外に注意が向かわないことで、プロジェなどをしようとする時、障害になる
外から見ると何もしていない状態でも、本人から見ればたっぷり仕事をしているからである
普通に仕事をしている人にとって、この状態になかなか入ることができないのがよく理解できる
彼らの意識は自己から離れ、常に外に向かっているからだ
凡庸だが、二つのバランスが重要になるということなのか




2017年9月8日金曜日

久し振りに走る足音を聞く



本日も朝は曇り、小雨も加わっていた
扉を開けてその景色を眺めている時、一つの考えが巡る
小さな塊だが、書き留めるべく机に戻る

暫くすると、走る足音が聞こえてきた
見ると、小学生のランニングの授業で、相変わらず思い思いに走っている
もちろん、いつものようにダラダラと走っている子も歩いている子もいる
先生は何も言わないのだろうか

ラントレであることを改めて確認
そうしていると、今日も予想通り少しだけ空が明るくなってきた
午後はずっと曇っていた

そんな中、いくつかのプロジェに当たる




2017年9月7日木曜日

流れない豊穣の時間



不思議なことに、このところの天気は一つの型の中にある
朝曇っているが、午前中に一時快晴になり、その後再び曇天になるというものだ
この時期の特徴なのだろうか

昨日、外に出ても調子が出ないので、帰って新しい一日を始めるべく昼寝をしてみた
そうすると、少しだけ頭がすっきりしてきた
と言うよりも、なぜか分からないが気持ちが真面目になるように感じた

流れる時間にある意識は、時々斬ってやるのがよいのかもしれない
それが流れない豊穣の時間、すなわち永遠の中に入る秘訣になるのだろうか
今日もその気にならないので午後から外に出た
少しだけ時間が止まった中にいることができた







2017年9月5日火曜日

影響力があることと本物との違い



今日も昨日と似たような天候であった
朝は曇りだが、午前中に一時快晴になる
それから後は曇天で、夜、青空が見えた
午前中、予定のプロジェに当たり、午後からは旧市街へ

影響力があることと本物との間に一対一の関係はないとマルセル・コンシュさんが言っている
影響力を求めがちな世の中において、これは意外に重要なことである
この違いが分かるのは本物の方だと思われるが、その存在がこれから益々重要になる
本物は宮沢賢治のように隠れている可能性が高いので、発掘しなければならない
そこで求められるのが本物の目ということになる

ところで、本ブログの異変に気付いた
ハイデッガー、アーレント関連の記事へのアクセスが異常に増えている
何かあったのだろうか?





2017年9月4日月曜日

ラントレで賑やかに



今朝、雨の跡が残っていた
一時、快晴になったが、その後は曇り
いつものカフェに出向く
ラントレのようで、これまで静かだった店内が騒がしくなっていた
これからの予定を頭に描き、それに合わせて考える
そこまではよいのだが、問題はそれから先である
暫くの間、様子を見ることになるだろう




2017年9月3日日曜日

第1回パリカフェ、無事に開催される

         会終了後、参加者と共に


昨日は、パリのカルチエ・ラタンで第1回のパリカフェが開催された
建物内は土曜ということもあり、貸し切り状態であった
実は、開催までに想定外のことが起こった
まず、前日と当日にかけて参加予定者が急用や体調不良で次々に参加できなくなったこと
それから、コンセントの変換プラグを忘れ、バッテリーを心配しながらの会となったこと 
しかし、最後には開催条件をクリアでき、バッテリーも終わるまで切れることはなかった
まさに奇跡の船出となった
これは何かの徴ではなかったのかという声も聞こえた

テーマは「科学と哲学の関係を考える」とした
これまでにいろいろなところで話した内容を現在の視点で纏めた最新版ということになる
最初にサイファイ研究所ISHEのミッションや活動を紹介
その後で、このようなカフェの特徴を "collaborative effort to pursue truth" と考えてはどうかと提示
ここで言う「真理」は絶対的なものではなく、各自の「わたしの真理」でよいのではないだろうか
そういうものが見つかれば、あるいはその切っ掛けが得られれば良いだろう

それから、最近興味が湧いている思考や意識や瞑想の問題についても最初に触れた
これは何をする上でも重要になると考えたからだ
この内容はまさに「わたしの発見」になり、頭を整理する上で非常に役立っている
このような話をしたためか、宗教的な香りがするという声もあったが、宗教とは直接の関係はない

科学と哲学を定義することは、殆ど不可能に近い
ただ、根本的な違いだと指摘されている中に興味を持ったものがある
一つは、哲学は解決済みの問題についての科学だ、という見方である
科学では解決された問題について扱うことはまずない
しかし、哲学ではそこに常にある問題について考えて良いことになる
哲学には科学で言われているような進歩はなく、絶対的な解もないということになるのだろう
もう一つは、科学には証明が求められるが、哲学には実証は要求されない
哲学に要求されるのは、論理性に基づいて得られた信念だという見方がある

この二つの例に現れる違いは、人間に可能な思考の様式には異なるものがあることを示している
科学を経由してきた者として、科学の思考だけでは見えないものがあるのではないかと感じている
あるいは、自然を捉える時の豊かさが失われているのではないかとも言える
これからあるべき両者の関係は、科学の方が哲学を見直し、取り入れることではないだろうか
それをどのような形で行うのかは、これからの試行錯誤が必要になりそうである

これに関連する議論は懇親の会でも活発に行われていた
これは当然のことだが、人数が少ないとこちらが話す時間が増えるということにも気付いた
ということで、充実した会になった
個人的には、フランスでカフェをやるということで、頭の中の風通しがよくなったように感じている
世界が広がったという感覚だろうか
次回はフランス語でという声も聞こえていたが、そうなれば内的空間はさらに広がるように思う
ただ、参加される方のご迷惑になるかもしれないのだが、、
最後に、週末のお忙しい中参加された皆様に改めて感謝したい


会のまとめ




samedi 9 septembre 2017

上の記事にある「わたしの真理」という表現について、コメントが届いた
「わたしの」とした場合、相対主義に結びつく危険性があるのではないかというものだ
誤解を避ける意味で、言葉の中身をもう少しエラボレートしておきたい

真理という言葉は科学でも使われるが、それはあくまでも仮のものとして考えられている
その仮のもの繋いでいくと最後には本当の真理に辿り着くという仮定がある
他方、真正の真理に近くはなるが、永遠にそこには辿り着かないという考えもある
これは科学の限界ではあるが、いまのところ最も優れた方法であると考えられている所以である

その上で、絶対的真理を考えると、一時的である科学的真理を超えるものになるはずである
すなわち、それは科学を超える領域にしか存在しないことになる
絶対的真理は哲学、形而上学の領域にしか存在しないのではないだろうか
もしそうだとすれば、哲学者や形而上学者の使命は絶対的真理を求めることになるはずである
それが可能なのかどうかは別にして、そこに向かい、その景色を見てみたいという気持ちはある
勿論、絶対などという問題には関わらないという立場もあり得るだろう

それでは、絶対的真理に辿り着くにはどのような方法があるのだろうか?
一つのやり方として、まず科学的な真理、ある状況における真理を集めることが挙げられる
その仮の真理を集めた後に絶対に向けて飛翔することができる時期が来ると想像している
その時の飛翔の方法となるのが、形而上学の方法論の一つでもある瞑想である
そこで得られたものを論理性を基準にして再検討するという作業が繰り返されるだろう
そして、絶対的真理の判断の基準になるのは、形而上学の蓄積の総体の抽出物になるのだろうか
まだ、歩み始めたばかりなので、今のところ、このようなスキームを描いている

さて、上の記事に言う「わたしの真理」が相対主義に結び付くのかどうかという問題である
真理を各個人が自分の独断で決めるとすれば、その危険性もあるだろう
しかし、わたしの意図は上のスキームの中にある
すなわち、ここで言う「わたしの真理」は最初に集めるべき「ある状況における真理」を意味していた
それは科学的真理に近いもので、個人の真理観に基づいて作られたものではない
したがって、相対主義の危険性は極めて小さいと考えている
寧ろ、絶対的真理に至る一ステップを構成するものと言えるだろう
勿論、上のスキームで絶対的真理に到達できるとした場合の話ではあるのだが、、
ただ、そうでない場合でも、「わたしの真理」の集積は無駄ではないだろう
いろいろな局面で重要な役割を果たすはずである

このステップをパリカフェでも行うことができれば素晴らしいというのが、上の表現の意図であった
勿論、他のカフェやフォーラムについても同様であることは言うまでもない








2017年9月1日金曜日

中村雄二郎氏亡くなる



哲学者の中村雄二郎氏が8月26日に亡くなったというニュースを目にした
以前に触れたことがあると思い調べてみると、こちらに来た当初のブログにいくつか記事があった
殆ど忘れていたものである
残念ながら、今読んでも殆ど感じない
現在の感受性や問題意識が当時とは変わってしまったということなのだろう
いまの感受性や意識は、このような経験を経て出来上がったものだと思いたい
それにしても、当時は長々と書いていたことに驚く
それだけ熱があったということか
以下に転載したい




2007年 10月 22日 
日本では哲学は不可能か

昨日、残りの荷をすべて解いた。予想外に早く済ませることができ、すっきりしている。一気にやるのではなく、出てきたメモや本を読みながらだったからできたのだろう。その中で興味を惹いた一冊があった。

 中村雄二郎著 『哲学の五十年』 (青土社、1999年11月15日出版)

今日のお題になった言葉がその帯にあったからだろう。購入日を見てみると1999年10月23日となっているのでもう8年も前である。日付から見ると、出てすぐに本屋に積まれているものを買ってきたものと思われる。読んだ記憶はない。ページを開いてみると四分の一くらいには目を通していた形跡が見つかった。線を引いてあったり、書き込みが見つかったからだ。改めて読んで見ると、哲学に対する捉え方に通じるものがある。著者は哲学の三つの要素として、第一に好奇心、第二にドラマ (これは生き様ということになるのか)、そして第三はリズムだとしている。 最後のリズムについては、空海も 「五大にみな響きあり」 と言っているようだ。五大とは、地・水・火・風・空の五大要素のこと。この宇宙のすべてにリズムがあり、それらが響きあっている。そこに身を晒して感じ取りなさいとでも言いたいのだろうか。空海はさらに識 (知ること) を加えて六大にしたという。この壮大な頭の中をいずれ歩いてみなければならないだろう。

中村氏は大学を出た後、5年ほど文化放送に勤務。この経験がその後の歩みによい効果を及ぼしたと考えている。5年では短すぎるのではないかとも思えるが、まさに primum vivere deinde philosophari (生きた後に哲学を) なのだろう。どうもこれは真実のようだ。ところでこのラテン語、以前とはほんの少し違って親しみを持って読むことができる。ラテン語コースの効果だろうか。

以下に下線を引いてあった部分から。

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 1901年に中江兆民が書いた『一年有半』 (喉頭がんで余命1年余りという宣告を受けた病床で書かれた二十世紀への遺書ともいうべき書:p-p注) のなかの 「日本に哲学なし」 ですが、彼は、こういうことを言っています。「我日本古より今に至る迄哲学無し」。本居宣長平田篤胤のような国学者はいた。しかし、これらの人びとは単なる 「考古家」 ― 古いことを調べている人たち― であって、哲学者ではない。また、たしかに、伊藤仁斎荻生徂徠などは儒書に即して新説を生み出したが、彼らは儒学者つまり一種の道徳家にすぎない。哲学というのは単に道徳論や倫理学にとどまるものではない。

 さて次に、これは東京大学に大いに関係するのですが、明治以後になると、西洋の哲学を導入した加藤弘之井上哲次郎がいます。しかし、兆民によれば、彼らはみずから 「哲学家」 を標榜しているが、実はただ西洋の学説をあれこれと 「輸入」 して折衷しただけのことで、「哲学者と称するに足ら」 ない。

 兆民に言わせると、哲学というものは決して抽象的なものではない。一見、「貿易の順逆」 (入超と出超)、「金融の緩慢」、「工商業の振不振等」 とは何ら関係ないように見える。だが、哲学は 「無用の用」 をなすものと言うべく、「哲学無き人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れ」 ない。

 このように言ってから、兆民は 「総ての病根此に在り」 として、次のように述べています。われわれ日本人は世界各国の国民と比較してみてもものわかりがよく、時の流れによく順応して、「頑固」 なところがない。西洋諸国のような 「悲惨にして愚冥」 な宗教上の争いがなかったのもそのためだし、明治維新がほとんど血を流さずに行われたのもそのためである。また、旧来の風習を洋風に一変して顧みないのもそのためである。しかし 「其浮躁軽薄の大病根」 も、まさにそこにある。「其独造の哲学無く、政治に於いて主義無く、党争に於て継続無」 い原因も、そこにある。だから 「一種小怜悧、小巧智」 であって 「偉業」 を立てるには不適当である。― こういうことばを聞いていると、つくづく、今もあまり変わっていないという気がします。

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この問題は、古代ギリシャに立ち返らなければ見えてこないかもしれない。なぜギリシャで哲学が、そして科学が人類の精神に舞い降り、日本ではそれが起こらなかったのか。これが問になるべきなのだろう。




2010年 09月 12日 
中村雄二郎による吉田健一の言葉

哲学者の中村雄二郎さんが吉田健一氏の「言ふことがあることに就いて」というエッセイについて書いている。その中にあった「自分を動かす言葉を探す」という言葉に共振。以下にそのあたりを。

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 さて、そのためになにか自己主張が必要になり、明治以後の日本では小説まで含めて自己主張の強い文章が大勢になった。と同時に、本来その必要のない日本語の文章で一人称単数の代名詞が頻繁に使われるようになり、<自我>や<自己意識>が西洋にも見られないほど特別視された。あのルソーの『告白』にしても、実は≪誰についてだろうと公表する価値のないことを自分に就いて公表するといふ≫ことをしたにすぎなかったというのに。

 それに西欧では、≪書くのが主張することでもある≫場合にも、その<主張>の意味が違っている。たとえばF・ベーコンの『ノ―ヴム・オルガーヌム』での<帰納法>の主張がそうである。それは、≪その論に接するものの共感を得るやうに言葉で或る一つのものを築いて行くこと≫であった。あることを適切に述べさえすれば、当然説得力を持つのである。≪これは我々が人よりも自己自身を動かす言葉を探すことによってしか言葉を有効に用ゐることが出来ない≫ことからもわかる。つまり、自分を動かす言葉を発見することが他人の共感をうる所以なのだ、と吉田さんは言っている。

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 ≪我々に言ふことがあるのがどういふことなのか言ふまで正確にわからない。・・・・言葉を得て我々に言ふことがあったといふのがどういふことだつたのか解る。≫

 ≪我々に言ふことがあるのであるよりも寧ろ自分が探して得た言葉でも言葉に動かされることを我々が求めるのである。その動かされるといふのは要するに働きかけられることであつて我々が或ることをその通りと認めるのもその言葉があつてのことである。≫

 ≪言葉そのものが動くのである。それは次の言葉を求めてであつて論理がその次に来てはならない言葉を我々に教へてもそこに来なければならない言葉を得るには我々は再び闇に目を向ける他ない。・・・・それは生命の意識でもある。≫

 ≪我々は言ふことがあるのではなくて言葉に教へられることを求めて言葉を探す。≫

 ≪我々に言ふことがあるのではない。我々が望むのは言葉に触れて生きる思ひをすることなのである。≫

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中村雄二郎 『哲学の五十年』 (青土社、1999年)より




2010年 10月 17日 
『知の旅への誘い』 を読む、そしてカルロ・ギンズブルグさんが飛び出す  

静かな週末。
久しぶりに日本語の本が読みたくなり、昨年日本で手に入れた30年前の岩波新書を読む。

 中村雄二郎、山口 昌男著 『知の旅への誘い』 (1981年:定価380円、古本屋で100円)

途中ページを折っているところがあるのでおかしいなとは思って最後を見ると、昨年読了のメモが。
確実に何かが進行中である。
印象に残ることのない本だったようで途中で止めようかとも思ったが、読み続けた。
記憶に残るような作業をしておかないとすぐに消え去るようなので、今回書き留めることにした。

専門化の著しい時代、その中に閉じ籠って安住したり、失敗を恐れ冒険や挑戦を行なわなかったり、権威に寄り添い自らの目で現実を見ようとしなかったり、客観性の名の下に自らの責任を回避しようとしたりすることが横行しているようである。学問が本来持っている自らを超えて行く力や自由でのびやかなものが失われているように見える。このような背景の下、知の営みの元にあるはずの日常の惰性を超えた生き生きとした生は冒険を含んだ旅に似ていると考えたお二人が、知と旅を重ね合わせて振り返ろうとしたのがこの本になったようだ。

中村、山口の両氏がそれぞれ前半と後半を担当している。
以下、ページが折られていたところから。

前半部(中村雄二郎氏執筆)
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 すなわち、ひとは情念(情熱)の悪い面ばかりを見て、むやみに情念を排斥する。しかし情念は、一方であらゆる苦悩の源であるだけでなく、同時に他方では、あらゆる喜びの源泉でもある。偉大な情念によってはじめて、人間の魂は偉大なものごとに到達しうるのだ。これに反して控え目な感情は凡庸な人間をつくり、弱々しい感情は最もすぐれた人間をも台なしにしてしまう。「控え目にばかりしていると、自然の偉大さとエネルギーが失われる。樹木を見るがいい。豊かに葉を繁らせているそのおかげで、諸君たちは爽やかに拡がった木陰をうることができ、冬がやってきてその繁った葉がなくなるまで木陰を愉しむことができる。およそ誰でも、小心翼々として生き、気持ちが老いこんでしまうと、もはや詩作にも絵画にも音楽にも、すぐれた仕事ができなくなるのだ。」もっともディドロは、このような主張の前提として、「感情のうちに正しい調和が確立されている限りのことだが」と述べることを忘れてはいない。

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 仏僧として説法・修行のために日本全国各地をめぐり歩いた智真房一遍は、<遊行上人>の名でよく知られているけれども、また他方では<捨聖>とも呼ばれている。説法・修行の旅が、同時にまた、捨てる旅、つまりこの世の人情を捨て、縁を捨て、家を捨て、郷里を捨て、名誉財産を捨て、己れを捨てという具合に、一切の執着を捨てるための旅だったからである。捨てることに徹底した旅だったからである。まさしく捨てることと旅とがもっともよく結びついたのが一遍上人の場合であった。果ては、捨てることへのこだわりそのものも捨てられなければらなないことになった。

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 まことに記憶と共通感覚との後退・軽視は、近代世界に、また<近代の知>に顕著にみられた特徴である。だがそうだとすれば、それにかわってはなにがあらわれたのだろうか。そこにあらわれたのは、ほかならぬ方法と分析的理性であった。・・・このうち、いまここでふれておきたいのは、<記憶>といわば入れかわった<方法>についてである。・・・

 もともと<方法>の意識には、すべてのもの、とくに過去や記憶にまつわるものを疑って、ゼロから再出発する姿勢があった。すなわち近代のはじめに、人々は歴史や伝統の束縛や重圧からのがれるために、また共同体から個人が独立するために、記憶や習慣による過去とのつながりを断ち切る必要があった。そこで要請されたのが、デカルト的な意味での<方法>であった。<方法>とは、記憶や習慣によらずひたすら理性によって人々を真理へと導くものでなければならなかった。そして<方法>はこのようなものとして、数学的な演繹やテクノロジーと結びついて、近代科学を飛躍的に発達させた。

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(以下省略)