2017年5月18日木曜日

日本から見えるヨーロッパ精神




久し振りにテレビのある生活に戻ってきた
観るものを選ばなければ、頭の中は大変なことになるだろう、といつもの感想が浮かんでくる
それは、本来われわれが持っている空間を十分に使うことができなくなるという危惧である
厄介なことは、普通の生活の中ではこのことに気付くのが至難の業であるということだ

さて、昨夜、時差ぼけの睡眠から目覚めた時、あるドキュメンタリーが始まったところだった
わたしのテーマになって久しい「偶然は必然である」が浮かび、観ることにした
それは、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」のモデルについてのお話であった
この絵はダ・ヴィンチが最後まで手放すことがなかった3点のうちの1点である
アルプスを越え、終の棲家となったアンボワーズまで持って行ったものである

番組には絵画の科学的分析をするフランス人研究者、イタリアの服飾研究家と歴史家が出ていた
まず、彼らの対象に向かう態度に形容し難い余裕のようなものがあることに改めて気付く
それは歴史が齎すものなのだろうか
それ以上に、歴史について振り返るという性質が齎すものなのかもしれない
省察であり、哲学的態度であり、言葉の重視である
それは日頃から感じていることだが、そこにヨーロッパらしさのようなものを見るようになっている
そして、それを好ましいものと考えるようになっている

ドキュメンタリーには、これまで知らなかったことが出てきて、それ自体でも楽しめるものであった
しかし、それ以上に、事実や科学を超えるところにも目が行っている研究者の姿が見えてきた
特に、最後に出てきたイタリアの老歴史家の姿は心打つものがあった
もう少しで、北斎のように「狂」の字が入る境地に至るのではないか
そう思わせる愉快さを感じた


前回の帰国でもヨーロッパに関する番組が少なくないことに驚いた
おそらく、それだけ要求があるということなのだろう
歴史ある日本などは、ヨーロッパにより近いものを感じているということなのではないだろうか
それがマジョリティではなさそうではあるのだが、、、




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