2017年2月7日火曜日

政治と道徳



本日はバルザシアンの2日目という意識で過ごす
仕事の部分は何とかこなすことができた
今のところ、のんびりしている時間が長いのは致し方ないか

午後から用事があり、駅に行く
それはどこかに出発するという用事ではないので、違った意識で歩き回ることができる
売店にハイデッガー特集があったので、駅のカフェで少しだけ読む
何でもない時に、ここで時間を過ごすのも面白い


大統領選を一つのテーマとして見たり聴いたり読んだりするようになっている
外界への反応が少しだけ回復してきたように感じる
それまで全く闇の中だったフランスの政治的状況がぼんやりと見えてくるようだ

今日の新聞記事にフィヨン氏の昨日の会見について、疑義が出されている
昨日の記事には書かなかったが、ぺネロプさんの英紙によるインタビューについてである
デイリー・テレグラフの記者キム・ウィルシャーさん(現ガーディアン)との会話が先週TVビで流れた
その中で、ぺネロプさんは一度も助手だったことはないと語っていた
フィヨン氏は、これはコンテクストから抜き取られたもので、記者も驚いているなどと言っていた
さらに、妻は助手ではないというのは真実である
なぜなら、同僚としてやっていたからで、あの発言には問題はないとしていた
しかし、キムさんはTVに出ることで迷惑をかけるとは伝えたが、インタビューは事実で驚いていない
すでにパブリックドメインにあるものだとして、フィヨン氏の言い分を否定したとある

それから昨日テレビで流れたことになっているターブル・ロンドがあった
その中で、フィヨン氏は正直だと思うかという調査にウィと答えた人は20%、ノンが67%となっていた
討論に哲学者のアンドレ・コント・スポンヴィルさんが出ていた
彼の言い分は次のようなものであった

今回のことは民主主義にとって不幸な面もあった
まず、フィヨン氏が無実であるということを前提にしないで話が進んでいく
彼のプログラムについては語らない
問題は、法的、政治的、道徳的の3つのレベルに分かれていて、混同してはいけない
われわれが議論できる最も重要な点は政治的な問題である
どのようにして失業を減らすのかが問題なのである
道徳はこの問題を解決できない
道徳的な問題は第三者が言うべきことではなく、自分自身が判断すべきものである
フィヨン氏が金を愛しているとしても、それは誰でもそうかもしれない
そこで彼が悪いとどこで判断するのか
報酬の多寡にしても同じである
モンテーニュは、道徳的に問題があることを実行する時に二つの条件を挙げている
一つは、それしか解決法がないこと、もう一つは、それが個人ではなく公共のためであること

そのような一般論に持ちこむことには賛成しないという人もいた
フィヨン氏を認められないと考える人もいた
彼は政策実行のために国民に犠牲を求めているという
あのような状態で、国民が犠牲を払う気持ちになるのか
これは法的な問題ではない
感情的に受け入れられないという
家族に報酬を払って雇うということは昔は普通だった
ただ、彼は社会が変わっていることに気付いていなかった


今回の出来事はフランスより外国のプレスの方が厳しいようだ
フランスの政界としてはいつものことで、それほど驚くべきこととは見ていないようでもある
いずれにせよ、理性を徹底できるのか、感情が勝つのか
最後は国民の判断ということになる






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