2016年9月30日金曜日

天は意地悪、そして 「これからリベルテへ」



今日はお昼前に南の方に買い物に出かける
以前にも行ったところで、バス停から距離がある
午前の閉店少し前に着いた
ネットに出ていたものよりもかなりお安い品が見つかった
やはり出かけてみるものである

少し気分がよくなり、このあたりで時間を過ごしてから帰ることにした
近くにリブレリーがあったので中に入ると、最近出会った言葉が出てくる本が数冊ある
手に入れ、近くに読む場所があるかどうか訊いてみた
すると、バス停とは反対方向に5分くらいのところにカフェとかレストがあるという

幹線に沿って田舎の景色を眺めながら歩く
丁度、レストランに入るあたりから小雨が降り出した
そこで、買ったばかりの本に目を通すと、気分が盛り上がるものがある
読んでいるうちに、雨はどんどん強くなってくる
小雨になるまで読みながら待つことにした

お店の人にこれからの予報を訊いてみると、一晩中これだという
仕方なく、適当な時に出ることにした
サックの中にプラスチックの買い物袋があったので、それを被って歩くことにした
風も加わる中、20分くらい歩いたのではないだろうか
途中、車を止める人がいた
哀れな姿を見て乗せてくれるのかと思ったら、このカルチエの人かと訊いてくる
道を探していたようだ

そして、バスに乗り込んだ
すると、雨が止むではないか
天は意地悪である
しかし、心は全く動揺しない
セ・ラ・ヴィの調子で、その時々を味わっている気配がある
これを解脱だという人もいる
それには少々早いのではないだろうか

バスやトラムの中で駅名が案内される
リベルテベートーベンアナトール・フランスシャルコージャン・ジョレス・・・
こちらの人は感じないのかもしれない
しかし、「これからリベルテに向かう」などと頭の中で言うだけで、わたしの気持ちは変わってくる
これもこちらの時間を欲している理由の一つだろうか


夜からかなり激しい雨になった
それでも練習のためにラグビー場に現れる人たちがいる
元気が出る眺めである




2016年9月29日木曜日

少しずつ浮き上がる



午前中は雲で覆われていた空が、午後から完璧な快晴に変わった
バスでの買い物に出ることにした
実に気持ちが良い
お店の人との会話もこれまででは考えられない
いま少しずつ以前の状態が見えるようになってきた
それはこんなイメージだろうか

普段から自分の中の奥の方に留まっていて、外と積極的に対応しようとするところがなかった
それによって、思索の空間に居続けることができると考えていた節がある
したがって、フランス語で言葉を発することも面倒になっていたのではないだろうか
それで言葉が上達するとは到底思えない
少しずつではあるが、いまそこから浮き上がってこようとしているようである

ところで、いま午後のお茶の時間になるが、隣の部屋からトロンボーンの練習音が聞こえる
実は昨日の夜も聞こえた
これもパリでは考えられないことである




2016年9月28日水曜日

街で軽くアイドリング、そしてやはりラグビー



今朝は街に出て来月の日本の準備をする
出掛けにビルの掃除をしている女性と言葉を交わす
見たことがなかったのだろう、移ってきたばかりですか?と訊いてきた
ゴミの出し方など、丁度知りたかったことを教えてくれた

必要なものをいくつか買ったが、そこでもいろいろと会話をする
その後、カフェに落ち付き、2時間くらいだろうか
まだ、アイドリングを始めたという程度で、気分が盛り上がらないので帰ってきた

帰ってシャッターを上げると、おそらく幼稚園児だろう
とにかく、ボールを追っている
それからスクラムのためなのか、円筒状のものに体を付けて前に進んでいる
いまラグビーに熱心な国にいることが、ここから見ているとよく分かる




2016年9月27日火曜日

旧市街のカフェで新たなプロジェ



昨日で取り敢えずの仕事は終わった
今朝は解放された気分で、新鮮な時の流れを味わう
それから歩いて10-15分くらいのところにあるスーパーまで出掛ける
お店ではお年寄りが話しかけてくる
店員さんにいろいろ訊ねると、実に親切に対応してくれる
やはりパリとは違う
往復1時間の田舎道の旅であった

これから日本での会に向けて準備をすることになる
その他いくつかプロジェがある
最近、新しい翻訳の話が舞い込んできたので、そちらを少しずつ始める
今度のものは、科学そのものを説明しているので、前回よりはすんなり進むのではないだろうか
今日は旧市街のカフェでやってみた
まだ時間的に余裕があるためか、すぐに眠くなった
La Tour de l'Horloge のあたりが工事中であった
数年前に訪れたところであるが、今回は初めてになる

大晦日、旧市街を出ると空には虹が  (2013-1-1)


それにしても、この旧市街という存在、何と言えばよいのだろうか
バスで10分、そこに行けばタイムスリップする
道が入り組んでいるので、空間的にもスリップする
広場のようなところがあり、そこにカフェと人が溢れている
どの町に行っても好きな空間になっている
有難い存在である




2016年9月26日月曜日

顔見世のセミナー終わる

(右から) Nicolas Ballon、Maël Lemoine、Catherine Belzung、
Vincent Camus、Alexandre Surget、Boriana Atanasovaの各先生


今朝、顔見世のセミナーのために Sciences et Techniques まで出掛ける
今回も最後までやる気にならず、結局昨日の夜から朝にかけてということになってしまった
いつまで経ってもこの癖は直らないようだ
ただ、この本質をテーズの過程で学んだため、耐えることができるようになっている
つまり、最後の瞬間まで「思考」していて、最後の最後に「表現」に向かっているということである
嫌な感じはいつも付いて回るが、比較的心穏やかにその中にいることができるようになってきた

大学はトゥールの町に散らばってある
今朝は森の中にあるコンプレックスでの会であった
INSERMのユニテの中にある一つのチームの拠点で、わたしを迎え入れてくれたところになる
ルモワン博士と待ち合わせた後、チームのヘッドをされているベルツング教授と挨拶を交わす
メンバー数名は講義や病気で欠席とのことだったので、大体10名くらいのチームになるのだろうか
写真に写っている方は、精神科医、神経生物学者などの科学者である

30分を与えられていたので、テーズの纏めを簡単にやった後、今後の方向性を話した
いつまで経っても初心者のフランス語に辛抱していただいた
こちらの希望はQ&A、より正確にはC&A(critiques & answers)の時間を取ることだった
しかし、なにぶん30分、C&Aセッションは時を改めて、ということになった
初めてではあったが、ベルツング教授を始めとして、皆さんacceuillantという印象を持った
勘違いでなければよいのだが、、、
主観的には、気持ちよく研究生活をスタートできそうな感触とともに大学を後にした


実は、今回のためにほぼ1年ぶりにテーズを読み直してみた
自分では全く満足できなかったため、これまで再び読むのが嫌だったのである
読んでみると、確かにこれでは駄目だというところはある
こんなことも書いていたのかというところもある
久し振りなので、すぐに引き出せる記憶として残っていなかったのだろう
勿論、一旦読むと記憶が蘇り、補強される
改めて、自分の書くものを評価することが如何に難しいかが分かる
そして、これを基にさらにエラボレートしなければならないということも分かった





2016年9月24日土曜日

パリのアパルトマンに別れを告げる



本日、パリのアパルトマンのエタデリューが予定されていたため、昨日パリに向かった
午後から最後の掃除をするが、さっぱり綺麗にならず
いろいろなところに埃は残ったままになった
腰が痛くなってきたので、暗くなる前に止めにした

今朝の夜明けもいつもの眺め
この景色を見るのは最後になる
明るくなると騒がしいパリの空になった
これも見慣れた景色である




予定の時間にアパルトマンの状態をチェックする中年の女性が現れた
まず、家具が残っているのを見て驚いている
不動産屋さんとは別のところから来た人で、連絡がうまく行っていなかったようだ
書類では家具なしになっている
家具なしとして次の予定を入れているので、全部チェックする時間がないということでイライラ状態
関係者に連絡を取ったようで、アパルトマンの持ち主の代理人が現れた
こちらは早口の若い男性であった

どんな話をしたのかはわからないが、ぶつぶつ言いながらチェックし始めた
わたしには、それにしても汚い、非常に汚いアパルトマンですね、と何度も
埃だらけじゃないですか、綺麗にすることを覚えなければ、などと説教を始めた
わたしが哲学を専攻していたことを知ると、哲学者は現実を見ないから困るなどと宣う
そこで、「哲学者は埃の中で生きなければならない」と思い付いたことを言ってみた
これは意外に受けたようである
これほど長いフランス滞在になるとは想像もしていなかった、と若い方に言う
すると、セ・ラ・ヴィが返ってきた

ところで、お二人が来てから部屋を見渡すと、まだ取り外していなかったものが数点目に入った
目の前にあるのに気付いていなかったのである
恐ろしいことである
このような経験はどんどん増えている
第三者がいることにより、自分もそのような目で見ることができるようになるということなのか

結局、1時間ほどで終わり、鍵を渡してアパルトマンを後にした
もう余程のことがなければ、あのカルティエに行くことはないだろう
そんな思いとともにモンパルナス駅に向かった

TGVに乗り込むと疲れが溜まっていたのか、眠りについてしまった
暫くして、目を覚ますとこの目を疑った
寝ぼけ眼で見ると、三つほど先の席の妙齢の女性がこちらを見て視線をそらさないではないか
何かの間違いだろうと思ってしばらくすると、それが万に一つの偶然だったことに気付いた
無断ではあったが、慌てて証拠写真を撮った
こういうことが起こるのである
不思議な世界である

(vendredi 30 septembre 2016)
今思い出したことだが、彼女は降りる前に席を立ち、入念な化粧をして戻ってきた
この瞬間と繋がっているような気がしたので記しておく
思い過ごしだろうか




トゥールに戻ると、快晴で夏を思わせる暑さであった
もう戻ってきたという感覚になっている

これまでシャルルドゴール空港との間の行き来をどうしようか考えていた
パリの街中まで出てから戻るのは面倒だからである
しかし、トゥールと空港との間には直行便があることを今回知った
パリでは何だかんだで1時間半ほどかかったが、こちらからだと2時間
この町は意外に便利な場所にあるようだ





2016年9月22日木曜日

カフェで雑談



向かいのグラウンドから元気のよいフランス国歌が聞えてきた
毎日何らかの形でラグビーの試合が行われている
現世に近付いたこの感覚は悪くない
奥まったところから少し出て、外界に反応するという体勢が内にできつつある
普通に戻りつつあるということか

午後、近くにあるカフェに入り、パソコンに向かう
暫くすると、店の女性がお仕事ですか?と話しかけてきた
見かけない人がいるので興味でも持ったのだろうか
話すとすぐに、アクセントがありますが、どちらから?とさらに問いかけてきた
やはり、わたしのフランス語には英語のアクセントがあり、日本語のアクセントは全くないという
これは自分では分からないことなので、前回の経験と併せると、おそらくそうなのだろう
つまり、彼らにしてみれば、話しただけではわたしがどこから来たのか分からないことになっている

若い時、アメリカで真剣に英語に向き合っていたので体に滲み込んだということなのだろう
それに比べ、フランス語は最初から会話を学ぶことは止めていたので、現状は当然のことである
そんな話をすると、フランスにどれくらいいるのかと訊いてきた
答えると、そんなに長くいるのだったらそろそろフランス語のアクセントを身に付けては、との助言

それから雑談に入った
こんなこと、パリではあり得ないことだ
これも地上に降りたということだろうか
それと体が戻ってきつつあるという感覚もある
これはこれで悪くない




2016年9月21日水曜日

ある感覚のズレが齎すもの



向かいのグラウンドは学校の授業にも使われているようだ
小学生?が周辺を走っている
それが一段落すると、再び静かな環境に戻る

こちらで日本語を読む時、日本とは違う感受性になり、感度も上がっているようにさえ感じる
日本では何も感じないはずのことに目を開かされることが少なくないのだ
全く異なる背景に、それが置かれることから来るものである
先日の「スキヤキ」で感じたこととも繋がるように見える
ひょっとすると、この感覚のズレが齎すものを気に入っているのかもしれない
同じものが全く異なって見えるというあの感覚である
こちらの時間を欲している一つの理由がそんなところにもあるような気がしてきた


午後からグラウンドでは小学生と幼稚園の子供のラグビーの授業が始まった
遠くには懐かしの飛行機雲が現れてくれた
ここから見るのは初めてではないだろうか
なぜか心が落ち着く

そう思っていると、次々と続いてくれた





2016年9月20日火曜日

初めての大学



正式には今月初めから大学との関係はできているが、今日初めて大学に顔を出した
わたしが所属することになるのは、神経科学・精神分析のグループになる
顔見世として、そのメンバーに来週話をすることになった
これまでとこれからについて30分ほどを予定しているとのこと
神経科学はわたしのこれからにも深く関わる可能性があるので、専門家の反応が楽しみである

それにしても不思議である
この世界に入る前は神経の研究所で免疫をやっていた
そして今度は神経を背景として哲学をやることになろうとは
さらに学生時代に戻れば、一時期精神科も面白そうだと思ったこともある
神経とか精神というものが付き纏って離れないようである

大学の方は殆ど拘束がないので、これまで以上に自由にできそうである
独我論に染まりつつある身には、ほぼ理想的な形に収まることになる
ただ、これまでとは違い、焦点を定めながらいくつかの「プロジェ」を進めるようになるだろう

まず、最初の小さなプロジェとも言えるエクスポゼの準備をしなければならない




2016年9月19日月曜日

厄介なセットアップ



新しい環境に入ると、いろいろセットアップをし直さなければならないことが出てくる
例えば、新しいものを組み立てるなど
それがどうしてもうまく行かないことがあり、イライラして立ち止まることが多い
そういう時は少し休んで考え直すと、うまく行くことがある
あるいは、説明書だけでわからない時は実際にやってみると意外に簡単なことがある
昔はすんなり進んだはずなのだが、、、

それとは別に業者に電気のコードを接続してもらう必要が出てきた
先週の金曜から連絡を取っているのだが、うまく行かない
今日改めて試みた
一か所に掛けるとそれは担当が違うと言って別の番号を教えてくれる
そこに電話すると、ここではなく別のところだというので番号を訊くとその前に掛けたところだと言う
このやり取りを2-3回繰り返した後、やっとわたしの願いに反応する声が聞えた
こちらが話した直後の反応で話が通じそうかどうかが分かる
ここ数日、現世に戻ってきた感じがする
ただ、これが終われば、また静かな世界に戻ることができるのではないだろうか

こちらの文化はお願いする方がそれを分からせるようにするのが当たり前
受ける方はそれを聞くだけ
したがって、相手にぶつかっていける
日本はお願いを受ける方が低姿勢で対応するのが文化
この春の日本で、丁寧な応対を何度も経験した
相手とぶつかる気持ちは普段から抑制されるようになっている

西と東の溝は深い


一息したところで、アメリカの音楽チャネルへ
すると、「スキヤキ」が流れてきた
この環境で聴くと一味違って聞える
名曲である




2016年9月18日日曜日

ボヌフォワさん再び

昨日取り上げたボヌフォワさんについて、第二代になるブログでも触れていたことを思い出した
ここに再掲しておきたい


イヴ・ボヌフォワさんに再会 Yves Bonnefoy, poète français
(2010年11月28日 )




先日、懐かしい名前がル・モンドで取り上げられていた
イヴ・ボヌフォワさん、87歳
モンマルトルはルピック街のアパルトマンに60年、言葉と向き合ってきた
20世紀は言葉を踏みにじる全体主義の世紀だった
科学の言葉、安易な説明の言葉の前に、詩はその立場を卑しめられ、無用者扱いされた
彼は言う
「数字と計算に慣らされたわれわれの言葉は世界の受容を貧しくしてきた 
 詩は学術ではない。世界を説明する必要はないのだ 
 詩で問題になるのは、子供の持つ原始的で本質的な視点である 
 詩とは内省により形になったその瞬間に吐き出される思想なのだ 
 詩の経験の中で、自分自身の未知の場所への道を見つけること 
 それを求めている」 

記者の一人は彼の作品を読んだ後、こう結んでいる
「詩的経験で問題になるのは、文学的なものだけではない 
 それは十全を求める営みにおいて、命に本質的に関わるものである」

 今年、ボヌフォワさんは次のような作品を出している

詩集
 
 Raturer outre

エッセイ

 La Communauté des critiques
 Pensées d'étoffe ou d'argile
 Genève, 1993
 La Beauté dès le premier jour
 L'Inachevable, Entretiens sur la poésie, 1990-2010
 Le Lieu d'herbes
 Le siècle où la parole a été victime


イヴ・ボヌフォワ 「ヨーロッパ精神と俳句」 YVES BONNEFOY SUR LE HAIKU (2006-11-18)





午後から太陽が覗くようになってきた
と同時に、例の歓声と今日は場内アナウンスと観客席からの応援の声と拍手が混じっている
本当の試合のようだ
パリのどこまでも静かなアパルトマンとは違う環境に収まったようだ
それはそれで悪くない
どこかに現世に引き戻す力があるからだ
そう言えば、フランスはラグビー大国だったことを思い出した




2016年9月17日土曜日

地元情報誌 Tours & Moi から



新しい郵便箱は宣伝のチラシで一杯になっていた
その中に、Tours & Moi という情報誌が入っていた
パラパラとやっていると、町が国際化を図っているという記事があった
その中に、「日仏自治体交流会議」という漢字が見える
第5回の会議がトゥールでこの10月5-6日に開催されるようである

これまで2年おきに日仏で開催している
第4回会議  平成26年10月 高松
第3回会議  平成24年8月  シャルトル
第2回会議  平成22年5月  金沢
第1回会議  平成20年10月 ナンシー

写真の説明では、京都の若い女性が毎年トゥールを訪れているらしい
目に見えないところで、いろいろな活動が行われているものである




今年の7月1日に亡くなった詩人のイヴ・ボヌフォワ(Yves Bonnefoy, 1923.6.24-2016.7.1)さん
最初のブログで取り上げたことがある
その縁でその後何冊か仕入れたことがあった
トゥール生まれとは知らなかった
と思って最初の記事を見ると、ちゃんと Tours 生まれと書いてある
もう10年も前のことになるので許されるだろうか
当時はこういう繋がりになるとは想像もできなかったのだから

イヴ・ボヌフォワ 「ヨーロッパ精神と俳句」 YVES BONNEFOY SUR LE HAIKU (2006-11-18)

その中からボヌフォワさんの言葉を聴き直してみたい
「ヨーロッパでは長い間、現実は単なる神の創造物であって、それ自体に神が宿るものではないと感じられてきたからです。ヨーロッパ人の精神は、風の音に耳を傾けたり、木の葉の落ちるのを眺めたりするよりも、神学的な、あるいは哲学的な思考をめぐらすことの方に、ずっと忙しかったのです。だからわれわれの詩は、そこである思考をきちんと展開するために、十分な長さを必要とします。比較的短いように見える詩、たとえばソネット (十四行の定型詩) の場合でも、その事情は変わりません。」

「キリスト教的な世界観の一種の衰退とともに、神秘的な生命に満ちた自然という観念が、詩人たちを促して、自然から得たさまざまな印象を重んじさせるようになりました。そして詩の論説的な面よりも、本来の詩的経験そのものがきわ立つことになった結果、短詩型の価値や可能性がよりよく理解されたばかりでなく、これこそが求めるものの核心かもしれないというわけで、意識的に短詩型が用いられることにさえなったのです。」

ただヨーロッパ人がキリスト教の伝統を忘れ去ることはないだろうから、二つの伝統の板挟みになりながら進むだろうという。

「フランスの詩人が、仏教に強く染まった日本の詩から学ぶ教訓 ― 個性を没し自我を去れという教訓が、どれほど当然かつ明々白々であろうとも、一個の人格としての彼の自意識は、けっして弱まることがないでしょう。個人そのものが現実であり絶対的な価値を持つというキリスト教の教えを、西洋人が忘れ去るのは容易なことではありません。フランスにおける詩的感性は、いつまでも詩人の自己省察に縛りをかけられたままであり、したがって、その偉大な詩はいつまでも、ある両面性の板ばさみになり続けることでしょう。その両面性の一方には、個人の運命への強い関心があり、他方には、そうした運命がもはや意味をなさないような自然界・宇宙界の深みに没入したいという欲求があるのです。 」

(ボヌフォワさんの言葉は川本皓嗣訳による)




2016年9月16日金曜日

荷物を受け取り、一段落



今日の午前中、荷物を受け取った
日本の業者ならではの丁寧な仕事をしていただいた
おまけに、長い間使っていた椅子の組み立てに間違いがあることも発見していただいた
どうしてこんなに座りにくいのかと思いながら過ごしてきたが、今回の引っ越しですっきりした

荷物の整理にはかなりの時間がかかりそうだ
第一、その気にならない
すべての箱を開けることはないのではないかという予感もする
寧ろ、これまでを引き摺るのではなく、何もないところから始めるというのもよいのではないか
そんな気持ちもある
様子を見ることになりそうだ


午後から雨が降ってきた
少し落ち着いてきたので、トゥールの雨を味わいながらの一服とする
静かな環境である




夜、雨が上がると向かいのグラウンドから闘いの激しい声が聞こえる
何ごとかと思えば、ラグビーの練習試合のようだ
元気のよい町の一面を垣間見た思いだ
もう9時頃には暗くなるようになった




2016年9月15日木曜日

荷物を送りだし、トゥール到着




火曜に荷造りを少しやっただけで、翌日には鼻水が出るという具合で困ったものである
お陰様で昨日はやる気になってきたが、大変であった
そして、本日業者の方3名で正味5時間くらいかかったのではないだろうか
ほとんど紙類だが、無事に送り出した

もぬけの殻の部屋を見ていると、初めてここを訪れた時の心象風景が蘇ってくる
ここは探し始めて最初に訪れたところで、すぐに気に入って借りることにした
今回のトゥールのアパルトマン探しとは大分違った
あれから9年、よくこの空間にいたものだと感心する
おそらく、学生という縛りがあったからできたのではないだろうか

今日の夕方、トゥール到着
なかなか順調な移動だな、などと思っていると、トラムが停電でその先を歩くことに
すんなりとはいかないものである
パリでもメトロの停電はよくあるが、トゥールでは初めて
日本ではまず考えられないことだろう

明日、荷物を受け取る予定になっている





2016年9月13日火曜日

エマニュエル・フェイ氏インタビュー



今日の昼間、天高く鰯雲が見えた
もう秋である

先日書いたエマニュエル・フェイ(EF)氏のル・ポワン(LP)によるインタビュー記事があった
以下にポイントを紹介したい

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LP: ハンナ・アーレントが崇拝の対象にまでなっているのはなぜ?どのようにして?

EF: まず、ハイデッガーとの関係、そして『イェルサレムのアイヒマン』が巻き起こしたスキャンダル。アーレントはユダヤ人だったので、ハイデッガーにとって都合のいい保証となった。さらに、ナチズムの非ドイツ化(ナチズムをドイツのものとしなかった?)とハイデッガー、カール・シュミットアーノルト・ゲーレンなどのナチスの体制を支えた人の罪を問わなかったことがドイツ時代の成功に結び付いた。

LP: 注釈学者らがこれらの側面を見ていなかったのをどう説明するのか?

EF:ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』 を書いたラウル・ヒルバーグや参照されるべき文献となっているヒトラー伝を書いたイアン・カーショーは、常にアーレントの仕事には批判的だった。 断片的でコンテクストから離れた読み方をする人たちに彼女の名声が留まるところを知らないものなったのは、政治理論、文化研究、それから哲学の領域である。フランスでの受容は、『文化の危機』出版の1972年にハイデッガー主義のリーダーによって仕組まれたものであった。

LP: アーレントを別の視点から見ることを可能にしたものは?方法論は?

EF: アーレントの意図を掴むためには、ドイツ語バージョンを考慮に入れなければならない。例えば、アーレントの「共にある者」( l'être ensemble)は、ハイデッガーの Mitsein (l'être en commun)「共同する者」を訳した空似言葉(faux ami)である。どういうことかを説明しよう。自由な個人が共存する民主的な社会を護ることには問題はない。しかし、そこから排除された人の自然権を全く認めない政治的共同体を推奨することは問題である。そう考えると、アーレントがわたしというものや個人の自由意志に対して攻撃したこと、そしてアフリカ系アメリカ人の権利要求の政治的正当性を認めることを拒否したことがよく理解できる。

同様に、彼女の著作の元にはナチスの歴史家、社会学者、法律家、哲学者が入っていることにも注意を払うことが重要である。最も難しいのは、彼女が対象となっている崇拝と縁を切り、最も受け入れ難い彼女の主張、例えば、ナチス収容所における犠牲者と死刑執行人との間に差を認めないことなどを真面目に受け止めることである。

LP: アーレントが哲学を破壊しようとするというのは言い過ぎでは?

EF: アーレントは哲学の破壊を試みた人の中に自らを数え、「哲学消滅後」に自分を位置付けている。1945年以降のハイデッガーと同様に、彼女が「思想」(パンセ)と名付けた哲学に反対している。わたしの批判は、彼女がアイヒマンに抗するためのモデルとしてハイデッガーをうまく描く時、思想が人質に取られて見えるそのあり方についてです。しかも彼女は間違ってアイヒマンを「思想の欠如」と動機の不在として描いている。最近の研究、例えば、イギリスの歴史家デイビット・セサラニはアイヒマンの伝記において、彼が思想のない死刑執行人だったのではなく、大量虐殺の考えを持つ狂信的な反ユダヤ主義者だったことを示している。

LP: ハイデッガーの思想の痕跡があるすべての人、レヴィナスからサルトルとデリダを経てバディウまで、あなたが確立した関係性に照らして批判的に再読されるべきでしょうか?

EF: 識別は必要です。例えば、レヴィナスはハイデッガーに対して倫理的な要求をしているが、それはアーレントには見られない。『黒ノート』に見られるように、彼が国家社会主義の皆殺しの反ユダヤ主義をどのような過激さをもって自分のものにして行ったのかを発見する時、再検討はその始まりにしか過ぎないと考えて当然だろう。アラン・バディウがどのようにしてハイデッガーの共同体の概念から「共産主義の仮説」と彼が名付けたものを一新したと主張しているのかを見る時、彼が火遊びをしていると考えないわけにはいかない。




2016年9月12日月曜日

引っ越し週間始まる



今週は引っ越し週間になる
最低限のものは自分で荷造りしなければならないので一箱だけやってみたが、そこでお休み
まだその気にはなっていないようだ

今日はビルの掃除をしている人とガーディアンに挨拶
9年という長きに亘る滞在になろうとは誰が予想しただろうか
気が付いたらそうなっていたということになる
より正確には、気持ちがすっかり落ち着くまでに9年を要したということになる

以前にも触れたとは思うが、パリを去るに当たって感慨のようなものは湧いてこない
パリから去るというよりは、パリの他に新しい場が増えるという感覚である
それは喜ばしいことである
この地球を広く使うという方針にも合致する


取り敢えず一段落するのは来週以降だろうか





2016年9月11日日曜日

アーレント事件



『アーレントとハイデッガー』 という本がもう少しで店頭に出る予定だという
ルーアン大学の哲学者エマニュエル・フェイ(Emmanuel Feye, 1956-)さんの最新刊

Arendt et Heidegger - Extermination nazie et destruction de la pensée

「ナチスの絶滅作戦と思想の破壊」という副題が付いている
この中で、これまで指摘されて来なかったハンナ・アーレントの考え方が指摘されているという
ル・ポワンの紹介記事から簡単に紹介したい

アーレントは1906年にハノーバーで生まれ、1975年にニューヨークで亡くなっている
1933年ドイツを去り、フランスに向かう
1940年5月にはフランス南部のピレネー・アトランティック県のグール強制収容所に収容される
しかし、マルセイユ、リスボンを経て、1941年5月にはアメリカに到着

今や崇拝の対象にまでなっているアーレント
しかし、彼女の作品を読み込んだフェイさんはその思想に大きな疑問を投げ掛ける
彼女はドイツにナチズムの責任を課すことを常に免除していた
ヒトラー出現を許したインテリの決定的役割を一貫して無罪とするように努めた
ユダヤ人虐殺という特殊な歴史を現代、技術、祖国喪失という一般的な考察の中に解消した

戦前に皆殺しを生み出すことに寄与したドイツ浪漫派の思想家を許している
その代わり、反ユダヤ主義の誕生はユダヤ人自身に責任があるとしている
驚くべきことに、人間や民族の歴史的で生まれつきの不平等性を認めている
さらに、人権の基盤を批判し、「人間の尊厳」というのは傲慢な神話であると考えていた
哲学を破壊し、論理的議論や理性を破棄しようという意志を持っていたという

これまでもそこにあった彼女の作品が、なぜこのような視点から読まれることがなかったのか
それが問題になるだろう
崇めて読むのではなく、明晰な批判精神とともに、情報を基にした読書が必要になる
これはポル・ドゥロワさんのご意見で、参考にしなければならない

今回の指摘により、ハイデッガーの影響を受けた哲学者の思想が再検討されることになるだろう
アーレントに始まり、レヴィナスハンス・ヨナスメルロー・ポンティなどが被告席に座るだろう
そう指摘するのは、アラン・フィンケルクロートさん

真実の姿はなかなか見えないものである
ものはそこにあっても目に入らないことが如何に多いかについてはいつも気付いているからである
今回の件について確認する時間がないのは残念である


これまでにもハイデッガー、アーレント、フェイさんについては何度か触れていた

ハイデッガーの二つの顔(I) (2006-07-09)
ハイデッガーの二つの顔(II) (2006-07-10)
ハイデッガーの二つの顔(III) (2006-07-11)
ハンナ・アーレント 「精神の生活」 La Vie de l'esprit - Hannah Arendt (2008-12-07)
映画 "Hannah Arendt" を観る (2013-04-26)
ハンナ・アーレントさんの人生と思索の跡を観る (2013-04-27)
知ることと理解することの間にあるもの (2013-04-28)
ハイデッガーの 『黒のノート』 (2014-02-11)





2016年9月9日金曜日

フランス人の死因 2013



昨日、今日と快晴
空には次から次に飛行機雲が現れる
実に気持ちのよい典型的なパリの空だ

昨日手に入れたル・ポワンに、2013年のフランス都市圏の死因の内容が出ていた
以下に紹介したい

死者総数: 556, 218 (内、52,933人の死因は不明)
◉ : 大きなカテゴリーを示している

◉ がん: 159,712
◉ 心血管疾患: 108, 862
◉ 神経障害: 55,177
◉ 暴力による死: 34,606 (内、9,591=自殺、647=暴行)
 肺がん: 30,157
◉ 精神障害: 22,180
 心筋梗塞: 15,013
 痴呆: 13,922
 大腸がん: 12,449
 女性乳がん: 11,902
◉ 感染症: 10,768
 すい臓がん: 10,206
 前立腺がん: 8,640
 首つり自殺: 5,401
 パーキンソン病: 5.347
 敗血症: 5,195
 交通事故: 3,268
 アルコール中毒: 2, 662
 拳銃自殺: 1,346
 鬱病: 1,060
 癲癇: 1,037
 服毒自殺: 956
 喘息: 849
 インフルエンザ: 684
 投身自殺: 609
 多発性硬化症: 583
 結核: 503
 エイズ: 457
 入水自殺: 414
 階段での転落: 359
 脳性麻痺: 232
 凍死: 217
 統合失調症: 173
 髄膜炎: 166
 双極性障害: 159
 薬物障害: 149
 テロ: 148
 ガス自殺: 137
 窒息死: 133
 男性乳がん: 129
 溺死: 121
 など


もう10年ほど前にもこの話題を取り上げていた。

フランス人の死因(2007-10-05)





2016年9月6日火曜日

神業の意味するもの



昨日、神業という言葉が出てきた
それは次のような感覚のせいではなかったのだろうか
そのことには翻訳作業の後半から気付いていた
さらに振り返れば、テーズを纏める最後の段階でも感じていたものである

それは、やっているのはこの「自分」ではないという感覚である
それが神という言葉につながったのだろう
しかし、それは普通の神が意味する超越的なものという含みはない
寧ろ、自分の内に潜んでいる力のようなものである
それは生命が齎すものである

それぞれの個体の中に本来あるものと生きる中で蓄えられたものが混沌の内に形になったもの
忙しくしていると、そのことに気付かない
自己との対話を繰り返すうちに、少しずつ姿を現すものである
言ってみれば、その個体の生命の本質のようなものだろうか
したがって、神頼みの神とも異なる 

その内なる力、もう一つの自分とも言えるものに仕事をやってもらうという感覚である
いまこれをやっているのは「自分」であると思いがちであり、実際そう見える
しかし、それをやっているのは内なる形容し難いものである
つまり、それがやりやすいように「自分」が取り計らうという感覚に近い

こういう認識に達すると、何をやる時でも精神的に楽になり、安定してくる
どんなものにも耐えられるという気持ちになってくる
それをやるのはこの「自分」ではないからである


パリは一気に秋らしくなってきた





2016年9月5日月曜日

翻訳原稿脱稿、あるいは科学の文章



本日、今年前半のプロジェであった翻訳の原稿を脱稿した
ほぼ300ページに及ぶもので、自分でもよく耐えたものだと感心している
終えることができたことが信じられない、という方が正確だろう
まさに神業、というのが直後の率直な感想である
翻訳がこれほどまでのエネルギーを要するものとは、想像だにしていなかった
ひょっとすると、テーズでの長い時間があったからこそ耐えられたのかもしれない

今回の内容は免疫についての見方がまとめられたものである
科学の中の事実を伝えるだけではなく、それ以上にその事実についての考え方が書かれている
そのため、普通出会うのとは違う言葉と文型が現れる
訳し始めた時は、すべてが全く別の言語に見え、これがフランス語なのかと思っていた

改めて科学のフランス語を読んでみる
非常に分かりやすい
文型が単純で、単語も英語からの類推できるものが少なくない
その意味では、科学の文章はフランス語ではないのかもしれない

科学の文章の難しさは、文型ではなく名詞の中にある
逆に言うと、言葉の意味が分からなければ何を言っているのか分からないことになる
文型ではないのである
思考ではないのである
知識なのである

今回の翻訳から、そんな一面も見えてきた
わたしの発見と言えるだろうか

これからゲラのやり取りが数サイクルあると伺っている
最終的に纏まるのは、来年春以降ではないだろうか
これからがこれまで以上に重要になるだろう
その間に統一のとれたものにできれば幸いである