2023年2月23日木曜日

新しいブログへ

































長い間、本ブログとお付き合いいただきありがとうございます


今日から新しいブログで綴っていくことにいたしました


新ブログ名は「自然と生命を考える」(In Search of a New Philosophy of Nature and Life)です


引き続きよろしくお願いいたします












2023年2月21日火曜日

ゲーテの町でヨーロッパを思い出す















朝、テレビをつけてみた

NHKのニュースで体操をやっている

以前、民放で見たような気もするが、NHKでもやるとは

自分でもやってみたくなりトライするも、体がガチガチに固まっている

少しはほぐさなければならないと思わせてくれた


暫くするとワイマールの散歩が流れていた

去年はゲーテと暫くの間付き合っていたので、どこか懐かしさを感じながら観ていた

ヨーロッパの町とそこに住んでいる人たちを見ていると、何かが違うように感じる

街を自分のものにしているというか、そこに住んでいる人のまわりに思考空間があるというか、どこかゆったりした雰囲気が流れている

いい言葉が溢れていたが、その中のあるものは自分の中にもあるものであった

そろそろ動き出す時がきているのだろうか





2023年2月17日金曜日

最終校のゲラ校正を終える















本日、最終校の校正を終えた

今回は、前回の校正が反映されているかということと、文章の論理の流れに重点を置いてチェックした

読んでいて躓くところがないかという確認である

これでわたしの手を離れたことになる

内容の大部分は科学であるが、後半に向けて哲学的なところが出てくる

この本の主張はそれが当然の流れでなければならないというものなのだが、科学時代に生きる読者にこの考えがどのように映るのだろうか

こればかりは天空の住人には想像ができない

時が答えをくれることだろう







2023年2月14日火曜日

『免疫から哲学としての科学へ』の最終校が届く


















最終校となる第三校ゲラが届いた

今回は、これまでに手を加えたところが指定通りになっているのかを確認する作業になるだろう

始めたところだが、パラパラと校正すべきところが見つかる

ここで見落としがないようにしたいとは思っているが、どうなるだろうか

こうして読んでいると、報告されたデータを読み、それを表現しようとしていた最初の状態が遥か彼方に霞んでいる

あるいは、地中深く埋もれているように見える

これまでに蓄積された情報や考え方が濾過され、そのエッセンスを眺めているように感じる

ここに至るまでのいろいろな時期の営みが層構造を作って堆積しているようだ

やはり、最終段階にあるということなのだろう

あくまでも「今回の試みの」という条件付きではあるのだが、、






2023年2月13日月曜日

コリングウッドによる偉大な哲学者


























久し振りにコリングウッド(1889-1943)を開いてみた

そこに次のような記述があった

非常に高いレベルの哲学的天才としてサミュエル・アレクサンダー(1859 -1938)とアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド (1861-1947)の二人を挙げ、デイヴィッド・ヒューム(1711-1776)以降見られなくなった哲学的著作の偉大な作風に戻るものであるとして、こう続けている

すべての偉大な哲学者はこの心の平静さを持ち、彼らのビジョンが明確になるまですべての情熱を注ぎ込み、まるで山の頂から「もの・こと」を見ているように書くのです。これが偉大な哲学者を際立たせる気品なのです。それを欠く書き手は読むに値するかもしれませんし、そうでないかもしれません。いずれにせよ、その書き手が偉大さには至っていないことは確かです。



 




2023年2月12日日曜日

柄谷行人の交換様式を読みはじめる

























本日もゆっくりスタート

カフェ/フォーラムの準備をする

特に、アナクシマンドロスに重点を置いて



それから、柄谷行人(1941- )の交換様式に関する本を読みはじめた

今日は、序論と第一部の予備的考察と第四章に目を通した

この手の本には馴染みがないのだが、以前に編集者の岩永氏から指摘があり、読んでみることにした

それは、ここで論じられている交換様式Dがサイファイの活動と通じるのではないか、というものであった

ソクラテス以前の哲学があったり、宗教の話にも事欠かない

その他にも歴史の勉強になるところが少なくない

ざっと読んだところの印象だが、様式Dとは遊動する人たちが国家に抗し、平等性と自由独立に基づいて交換するもののようである

しっかり理解するためには、読み返さなければならないだろう









2023年2月11日土曜日

拙著『免疫から哲学としての科学へ』の案内を発見

































太陽の偉大さに畏敬の念を抱く毎日が続いている

太陽が顔を出さないと動き出す気にならない

そのエネルギーを必要としているのである

太陽のような星がなければ、この宇宙で生物が生存することは難しいということを改めて確認している

寒さは去年より緩いと思われるのだが、今年はそれに耐えなければならない

その感覚は受け取る側に変化が起こっているからだろうか



ところで先ほどネットサーフをしている時、最近二校の校正を終えたばかりの免疫試論の案内が各種サイトに出ているのを発見

まだ表紙などはできていないようですが、ここにメモしておきます

タイトルは『免疫から哲学としての科学へ』で、みすず書房から3月中頃に刊行される予定です

免疫を対象とした自然へのアプローチを模索した書になります

お読みいただき、ご批判をいただければ幸いです

よろしくお願いいたします











2023年2月10日金曜日

Sleepers 探しの画商と世界の起源



















今朝のBSで、Sleepersを探しているイギリスの画商の活動が紹介されていた

Sleepersとは真価が長年認められなかった骨董品のことで、今回の主人公は肖像画を追っており、かなりの大物を仕留めた人物のようだ

非常に面白く、最後まで観てしまった

誰もその価値を認めないうちに歴史的な肖像画を手に入れる

その時、価値あるものであるという証拠を徹底的に集める

見ていると面白そうな仕事であった

本人にしてみると大変な決断が求められるが、やりがいはあるようであった


それから、今回のサイファイ・カフェSHEの資料を読む

すべての始まり、始原、原理などの意味がある「アルケー」(ἀρχή)という言葉を、これまで何気なく使っていた

この言葉を最初に使ったのは、今回取り上げるアナクシマンドロス(c.610 BC-546 BC)だった

そして彼は、存在の始原は「アペイロン」であると考えた

こちらも前回のFPSSでは何気なく、「無制限」とか「無限」と紹介した

この言葉もいろいろな解釈ができるようである

このあたりはSHEでお話することになるだろう







2023年2月9日木曜日

新しいモバイルWi-Fi に手を焼く
































昨日は、免疫試論の編集者と最終校に向けての最後の調整をやっていた

セメントで隙間を埋めるという感覚を伴う作業であるが、わたしが関わるところは終わったようだ



ところで、今週月曜に新しいモバイルWi-Fiを手に入れた

これは日本にいる時だけのものだったので、これまで性能は低いがその分お安いものにしていた

それが働かなくなったのである

幸い性能は上がり、コストも以前とあまり変わらないものが見つかったので替えることにした

確かに、ネット上でのパフォーマンスは雲泥の差で喜んでいた

しかし、プリンターとうまく繋がらず、印刷できないことを発見

ネットで見つけた記事の通りやってみたが、すべて駄目

気持ちが悪いので、本日、電話相談をすることにした

プリンターの会社とモバイルを買ったところに何度か連絡してやっと繋がるようになった

これまでのものをセットアップする時にも同じことをやっていたはずだが、完全に忘れていたようだ

ということで、すっきり

本日はこれだけで一仕事したような気分になっている










2023年2月7日火曜日

春のカフェ/フォーラムに向けて





少し心と体が軽くなったように感じる

今日は札幌と東京のSHEのための資料を読んでいた

テーマは、アナクシマンドロス(c. 610 BC-c. 546 BC)の思想と科学である

アナクシマンドロスは、長い間わたしの中では存在しない人物であった

しかし、前回のFPSSでイオニアの哲学者を振り返る中でわたしの目の前に現れた

そして、彼が唱えるアルケーに興味が湧いたのである


それまで自分の中には存在しなかったと書いたが、実は13年前からわたしの近くにいたのである

カフェの案内にも書いたように、カルロ・ロヴェッリ(1956- )さんのアナクシマンドロスに関する考察がある

この本の仏訳を2010年に手に入れていたからである

その本を見た時、いずれ必要になる時が来るという直感があった

そして、その時が13年後に訪れたという訳である

それからアナクシマンドロスに関しては、マルセル・コンシュ(1922-2022)さんの論考も手元にある

ということで、アナクシマンドロスのお話の全貌はまだ見えていないが、興味深いものになる予感がしている









2023年2月6日月曜日

リマインダー: 春のカフェ/フォーラムのご案内






2023年最初の会を以下の要領で開催することにいたしました
興味をお持ちの方の参加をお待ちしております
よろしくお願いいたします



第9回サイファイ・カフェSHE札幌 
 2023年2月25日(土)15:10~17:30 
 テーマ: アナクシマンドロスと科学的思考 
 会場: フルーツ会議室 / 札幌駅前 


第7回 ベルクソン・カフェ / 第9回カフェフィロPAWL 
 2023年3月1日(水)18:00~20:30 
 テーマ: アラン・バディウの幸福論を読む(2)幸福と反哲学
 会場: 恵比寿カルフール B会議室 


第8回サイファイ・フォーラム FPSS 
 2023年3月4日(土)13:10~17:00 
 プログラム:
  矢倉英隆 シリーズ「科学と哲学」② ソクラテス以前の哲学者-2
  久永真市 遺伝子と個性
  市川 洋 「人間の基本的な在り方」と「科学の在り方」
 会場: 恵比寿カルフール C会議室


第16回サイファイ・カフェSHE
 2023年3月8日(水)18:00~20:30 
 テーマ: アナクシマンドロスと科学的思考 
 会場: 恵比寿カルフール B会議室 











2023年2月5日日曜日

二校ゲラの校正を終える















このところ免疫試論の再校ゲラの校正にどっぷり浸かっていた

その間、他のことには注意が向かわないほどに集中していたが、やっとそこから浮かび上がることができた

全体にグリップを効かせ、隙間をセメントで埋めるというような感覚でやっていた

自分で書いたものを客観的に見るのはなかなか難しいので、編集者のコメントが参考になることが少なくなかった

全体に統一感と締まりが出てきたように感じている

途中、その昔よく聞いていた名前などが出てくると、何とも言えない懐かしさを感じることもあった

これらの感覚は初校では全く浮かばなかったので、不思議に思っている

来週には三校が届くはずである

今度はどんな感情が浮かんでくるのか、興味深い


これから春のカフェ/フォーラムのテーマに向き合うことができそうである




2023年1月31日火曜日

1月を振り返って































もう月のまとめの時期になった

今年は免疫に関する本のゲラ校正から始まり、現在もその只中にある

具体的には、第2校の校正がもう少しのところまで来ている

というよりも、締め切りが今週中ということである

そのため、他のことには注意が行かなくなっている


もう一つは、今月、これからに向けての一つの方向性が見えてきたことである

これは、これまでやってきたことに一段落が付きそうだという新しい状況が齎したものだろう

これからさらに具体化していきたいものである








2023年1月30日月曜日

タングルウッド音楽祭でアメリカの空気を思い出す















今日は異常に早く目が覚めた

何か意味があるのかと思い、いつものようにテレビを付けてみた

そうすると、コンサートが流れ、女性の司会者?が会場に向かって語り掛けている

聴いていると、タングルウッドとかレニーとかジョンなどという名前が出てきた

これはタングルウッドの音楽祭で、バーンスタイン(1918-1990)やジョン・ウィリアムズ(1932- )のことを言っているのだとすぐに気付く

実際、ジョン・ウィリアムズが出て来た

それから、見覚えがあるのだが名前が出てこない指揮者が登場

暫く頭の中を散歩しているうちに、マイケル・ティルソン・トーマス(1944- )だと思い当たった

バーンスタインの生誕100年を記念しての演奏会で、2018年のものであった

アメリカのオーケストラらしく、非常に力強い演奏であった


これは、わたしがマンハッタンにいた40年ほど前に出来上がった偏見なのかもしれない

実はカーネギーホールでライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団シカゴ交響楽団を続けて聴いたことがある

初日はクルト・マズア(1927-2015)指揮で、翌日はゲオルク・ショルティ(1912-1997)の指揮だった

初日には何も感じなかったのだが、2日目にシカゴを聴き、風圧として襲ってくるかのようなその音量に圧倒されたのである

初日のオーケストラが室内楽のように感じられたことを思い出す

それ以来、アメリカとヨーロッパのオーケストラに対する偏見が出来上がってしまったようだ

今朝の演奏もどこか動物的な匂いを感じながら聴いていた






2023年1月28日土曜日

「テュモス」を考え直す























昨日も用事があり、外に出た

先日とは打って変わって快晴で風がなかったので比較的快適であった

用事を済ませたあと時間があったので、久し振りに書店に寄ってみた

見かけない雑誌『未来哲学』があったので手に取った

そこに先日取り上げた理性と闘争本能との対比に関連する山内志朗氏のエッセイがあった

この問題を霊魂論との関連で見直してはどうか、というのである

古代ギリシアの霊魂論には、「ヌース」(知性、理性)、プネウマ(気息、生命、こころ)、「プシュケー」(魂)などの他に、「テュモス」(thymos)という概念があった

これは「気概」「気持ち」と訳されるようだが、その中身は「知の沸騰」「激しい息遣い」で、激しく荒々しい心の動きだという

プラトンやアリストテレスにより、「ヌース」が高位で「テュモス」はそれより下に位置し、その見方は理性の時代に入り決定的になったと考えられていた

しかし、その間もこの見方に抗する流れはしっかりと生きていた

事実、20世紀も21世紀も争いが絶えない

理性が抑えるべき対象について見直そうという提案と受け取った

これに関連するエッセイを書いたことがある

  医学のあゆみ 264 (2): 202-206, 2018











2023年1月26日木曜日

極寒の後はゲラの校正































昨日は用事があり、外に出ていた

何でこんな日にという感じで、異常な寒さが身に沁みた

そろそろお歳をお考えになっては、という声も聞こえた

鉄道にも大きな乱れがあったようだ

我々の社会も自然の前には意外に脆いものである



本日、編集者から校正ゲラの一部が届いた

残りのものも考えると、来月の初めまではその検討に当たることになりそうである

そしてタイトルが決まると、長かった全作業が終わりを迎える











2023年1月24日火曜日

九鬼周造との繋がり
































昨日、『免疫学者のパリ心景』の編集者岩永氏から九鬼周造(1888-1941)の墓の写真が送られてきた

会議で京都を訪れた機会に法然院のお墓にお参りした時のものだという

わたしと九鬼との間にどんな繋がりがあるのか

これまで軽く触れたことはあるが、はっきり書いたことはなかったように思う

実は、拙著のタイトルは九鬼の『巴里心景』を生かしたものであった

カタカナで現代に生き返ったことになる

九鬼と特に強い結び付きを感じたことはないのだが、以前のブログに、雰囲気が九鬼に似ているというようなコメントが届いたことはあった

意表をつかれたタイトルであり、「心景」という言葉に詩的なイメージが広がり、これで行くことになったという次第である



昨日、『巴里心景』の方を読み直してみた

「秋の一日」という詩の中の次の一節に、前回読んだ時の印が残っていた

形而上學のない哲學は寂しい、

人間の存在や死を問題にする形而上學が欲しい。 


その嗜好(志向)には同意するところ大である

それにしてもこの湿気はどんなものだろうか








2023年1月23日月曜日

新しい方向性が一つ現れる



















それにしても寒い

去年も同じだったと思われるのだが、それと比較できなくなっている

ということで、相変わらず午後からのスタートで、再校ゲラの校正に当たっている

これまで全く気付かなかった間違いに驚くこともある

何気なく見ていると見えてこないものが、別の作業をやる中で浮かび上がってくるのだ

今の調子だと、あと数日は掛かりそうだ

その後に編集者のバージョンと突き合わせることになる


年が明けてからモヤモヤしていたものから一つ形を見せてきた

次回のカフェで取り上げるアナクシマンドロス(c.610 BC-c.546 BC)も言ったように、始原にあるものは明確なものではないのだ

掴みどころのないところから何かが生まれるのである

今回のものとは違う形が現れることはないのだろうか

そんな期待の中にいる






2023年1月21日土曜日

闘争本能を理性で抑えるということ
























今日も紫煙とともに時を過ごしてから始めることにした

これからに向けてのいろいろな考えが浮かんできた

肯定的な道が見えてきたという感触を掴むことができた


お昼に「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」という番組が流れていた

以前に観た記憶があるが、もう一度観ることにした

2人の少年兵が語る自らの戦争体験を軸に番組は構成されていた

全体を観ての印象は、健全な目でというか、よく振り返った跡が見えるところに好感を持った

戦争という実態を僅かではあるが感じ取ることができたからだろう

お一方が、当時のことを話しても今の若者には理解されないだろうと語っていた

我々を取り巻く現実の中で、想像するのが難しい事態が進行していたということだろう

人間に組み込まれている闘争本能が駆り立てる戦争を抑えることができるのは、同じく人間に組み込まれているはずの理性を働かせることだけではないかという思いに至る

その意味では、現実に対応するだけの意識の第1層に留まる思考ではなく、第2層、さらに第3層に及ぶ思考を日頃から鍛えておく必要がある

本能はそこにあるが、理性は鍛えなければ働かない

そのことを意識できる状態にしておくことである

これまでの全的生活から得た大きな教訓を確認する時間となった










2023年1月20日金曜日

紫煙の見えざる効果?

























再校ゲラの校正中である

今朝は紫煙を燻らせながらゆっくり過ごす

不思議なもので、紫煙がある時とない時では浮かんでくることが違うようなのだ

今日は大きな決断を促すような心の動きを誘発した

暫くの間、その考えを弄んでからスタートした