2017年10月18日水曜日

東京理科大学、第二講とセミナーが終わる


  (左から)安部良、北村大介、水田龍信、小園晴生、久保允人、岩倉洋一郎の各先生


今日は、生命倫理シリーズの講義の後にセミナーというハードなスケジュールであった
昨日は都内を移動しながらその準備のために明け暮れた
しかし、予想通り終わらず、今日の午前中に縺れ込んだ
昼食の予定もキャンセルして、何とか生命医科学研究所に滑り込むことができた
本当に困ったものである

今日の講義は「生命について」という大きなテーマとした
先週の英語の講義がどれくらい理解されていたのは分からなかったが、今日その実態が知らされた
実は直前、今日はスライドは英語でもよろしいが、話は日本語でお願いしたいとの連絡が入った
そのように準備して出掛けた

今回はスライドの数を減らして、ゆっくり説明するようにした
そして、残りの20-30分で小テストをするという形式であった
まだよく見ていないが、書いていることに自信を持っている様子が伝わってくる
前回、英語で質問していた子供の時にアメリカ生活を経験している学生さんがいた
しかしレポートを見ると、全般的に心ここになしという感じのものが少なくなかったようである
やはり、学生のうちは日本語でなければならないのかもしれない

講義の後はセミナーで、このところ考えている免疫の形而上学について発表した
こちらが考えている形而上学化の意味がまだ明確に伝わってこないという意見があった
それは、人によって異なる内容のものとして理解されることがあるのではないかという指摘でもあった
もう少し頭の中を整理し、説明を練り直す必要がありそうである

それから、免疫系の捉え方も研究者によって微妙に異なっているのを知り、驚いた
わたしは当然のものとして受け取っていたことでも疑っている場合があった
それは免疫系の中での現象の定義にも表れていた
データが蓄積されるにつれ、それまで明確に分けられていると思われたものの境界が怪しくなる
つまり、全体像が整理されるよりは、却ってごたごたして来るという状態を招くような印象がある
システムは自然界にあるのではなく、人間の頭で考えたものだとすれば、当然なのかもしれない
これからの科学の進展にも注目していきたい


セミナー終了後、生命研の諸先生との食事会があった
最初は科学のことから入り、途中政治の話も出ていたように記憶している
しかし最後は、魂の不滅や生まれ変わり、そして神や宗教の話にまで広がったのには驚いた
これは第三層の領域で、そこでは科学的思考から解放された様子を見ることになった
やはり、人間が考えているのである
そこには人生経験の影響もあるだろう
これから味わい深い境地に入って行くのではないかという予感のようなものも感じていた
まだまだ老年には早いという先生方もおられたが、、

このような展開になるとは予想もしていなかったので、実に興味深いものがあった
人がどのような考え持っているのか、話を聞くまで分からないものである
そのことを新たに実感した貴重な時間となった

お忙しい中、お時間を割いていただいた諸先生には改めて感謝したい








2017年10月16日月曜日

編集者との建設的なランデブー



本日も雨で、このところ雨天が続いている
それにしてもよく降るものである
こうして秋が深まっていくのだろう

今日は午後から編集者とのランデブーがあった
会社が新社屋に引っ越したとのことで、案内していただいた
翻訳の校正作業の進め方やそれ以後のことについても話が広がった

英米の本だけではなく、フランスの本をどんどん紹介していきたいという意向をお持ちのようであった
我田引水になるが、その背後に我々の意識の第三層を広げるところに寄与したいという願望を見た
その点での認識には共通するものがありそうである
総じて、前向きで建設的な話になったのではないだろうか
あとは、如何に実行するのかという問題だけである





2017年10月15日日曜日

第2回ベルクソン・カフェの初日終わる



昨日は夕方から第2回のベルクソン・カフェを開いた
直前に3名の方から都合で参加できなくなったとの連絡が入り、出席率50%となった
その代わり、参加者個人間の距離は縮まったように感じられた

前回、2時間では駆け足で読み進めなければならなかったことを踏まえ、今回は3時間とした
そのため、最初からかなりゆったりした気持ちで始めることができた
全体的に見ても、確かめながら噛みしめるように読むことができたのではないだろうか

今回のテーマは「生きることを学ぶ」という9ページのエッセイだった
予定通り4ページ半を余裕をもって読み終えることができた
第3回もこのくらいの時間配分が良さそうである

前半の概略は、BCサイトに掲載したのでご参照願いたい





2017年10月13日金曜日

只管準備の一日



今日は少しだけ涼しくなり、一日中雨交じりであった
こちらは天候には関係なく、明日の準備をする
第2回ベルクソン・カフェで取り上げる「生きることを学ぶ」というエッセイを読み直していた
古代ギリシア、ヘレニズムの時代における哲学から学ぼうとしている
現代、特に日本では古代の哲学に興味を持つ人がどれだけいるのか分からない
しかし、学ぶべきことは非常に多いと感じている
明日はどのような展開になるのだろうか
初回よりは時間的な余裕ができそうなので興味が尽きない





2017年10月12日木曜日

出来立てを届ける



寸前まで準備しているというわたしの性癖について考えていた
一つは、自分も新鮮な気持ちで、驚きながら、新しい発見に向き合いたいのではないだろうか
つまり、自分の中にあるものが最後の最後に形を作るまで待つということである
それは熟成の時間を最大限にするということでもある
そして、出来立てを届けたいという蕎麦屋の出前の気持ちにも繋がるものがある
その気持ちは体から自ずと発散してくるはずである
今回、話しながら自分でもそのことに気付いていた
「おっ、熱が入っているな」という感じだろうか

いずれにせよ、今日は新たな出前に向けて静かに準備をした
今回は春に比べ体への負荷が大きくなっているように感じる
それは、新たに加わった講義と講演の4回分が重くのしかかっているためだろう
少し時間が経ってからスケジュールを見直してみると、異常に見えるのではないだろうか
いまはそういう感じが全くしないのではあるが、、

夜は古い友人とディネ
山歩きがご趣味で、山から下りたばかりとのこと
相変わらずイタリア語に打ち込んでいて、今日も学校帰りだったようである
食事後、子供時代を過ごしたという界隈を案内していただいた
開発が進んだ都心でも昔の知り合いの何人かは今も同じところに住んでいるという
それは素晴らしいことではないだろうか






2017年10月11日水曜日

東京理科大学の第一講、終わる




昨日一日でも終わらなかったのであきらめムードであったが、今朝早く目が覚めた
誰かが起こしてくれたという感覚である
お陰様で出発までの5時間ほど集中する
しかし、それでもまとまりがつかず、乗り換え駅のカフェでさらに手を加えてやっと形になった
それにしてもご苦労さんなことである
精神的な疲れはないが、肉体的なものが問題になりそうだ
エピクテトスによれば、それはそもそも自分ではコントロールできない領域にある
今日はゆっくりして、明日から再び始めるしかなさそうだ

外国人がいるので、英語で講義するように言われていた
全学に開かれた講義で、50名くらいの修士の学生さんが聴講していた
講義のテーマは倫理だった
この問題を考える時、日頃行っている科学的な思考だけでは不十分であると考えている
そのため、前段として考える上で重要になる意識の構えや自己を客体化する必要性について触れた
その点に目が開かされたという人が少なからずいた

それから、成績が必要になるので小さなテストをするようにとのことだった
問題の一つは、講義を聴く前と後で自分の中で変わったことがないかを観察して書いてもらった
このような振り返る時間を毎日持つことが、考える力を養う助けになるような気がしている
将来の社会を考える時、問題に正面から向き合い真剣に考える人間が増えることが重要になる
レポートを見ていると、そのような姿勢で書いている様子が伝わってくるものが多かった
これは外から姿を見ているだけではなかなか分からないものである
そう言えば、そもそも人の内面は分からないものであった

真面目に反応している様子を観察できたという意味で、今日の努力は無駄ではなかったと思いたい







2017年10月10日火曜日

最後の最後まで



超過密スケジュールが始まっている
東京で街を歩くと、汗が噴き出してくる
明日は東京理科大学で大学院の講義がある
準備不足は免れない
この一日でどれだけできると言うのだろうか

こういう時いつも浮かぶのは、あれだけの自由な時間にどうしてやっておかなかったかという思いだ
しかし、それが実行されたことはかつてない
最後の最後まで形を自らに見せないようにしているかのようである
その状態に耐えられるようになってきているのは喜ばしいことではあるのだが、、
それが今月一杯続くことになる
本当に耐えられるのだろうか

今回もどのような展開になるのか、静かに様子を見るしかなさそうだ





2017年10月7日土曜日

カズオ・イシグロさんと古代哲学



カズオ・イシグロさんがノーベル賞を受賞したという
数日前のテレビで観たインタビューで、こんなことを言っていたような気がする
人生は短い
そこで重要なことは何なのか
富や権力や名声なのか
愛ではないのか
われわれは真剣に考えなければならない
このテーマは古代哲学に通じる
人間の幸福とは何なのか
生きる意味はどこにあるのか
現代では軽く躱されている
しかし、真面目に考えなければならない問題である
そこに思いが至れば、その方法は哲学しかないだろう

このブログシリーズ(石鹸箱)でもカズオ・イシグロさんは何度か取り上げたことがある
Never Let Me Go の映画を観て議論したセッティングは思いもかけないもので、強い印象を残している
お祝いの意味も込めて、ここに再録したい



2010年8月17日

カズオ・イシグロによるアマチュアリズムとプロフェショナリズム



'...Now we're are all being so frank, I'll be frank too. You gentlemen here, forgive me, but you are just a bunch of naïve dreamers. And if you didn't insist on meddling in large affairs that affect the globe, you would actually be charming. Let's take our good host here. What is he? He is a gentleman. No one here, I trust, would care to disagree. A classic English gentleman. Decent, honest, well-meaning. But his lordship here is an amateur.' He (Mr Lewis, American gentleman: Note by paul-paris) paused at the word and looked around the table. 'He is an amateur and international affairs today are no longer for gentlemen amateurs. The sooner you here in Europe realize that the better. All you decent, well-meaning gentlemen, let me ask you, have you any idea what sort of place the world is becoming all around you? The days when you could act out of your noble instincts are over. Except of course, you here in Europe don't yet seem to know it... You here in Europe need professionals to run your affairs. If you don't realize that soon you're headed for disaster. A toast, gentlemen. Let me make a toast. To professionalism.'

 There was a stunned silence and no one moved. Mr Lewis shrugged, raised his glass to all the company, drank and sat back down. Almost immediately, Lord Darlington stood up.

 'I have no wish,' his lordship said, 'to enter into a quarrel on this our last evening together which we all deserve to enjoy as a happy and triumphant occasion. But it is out of respect for your views, Mr Lewis, that I feel one should not simply cast them to one side as though they were uttered by some soap-box eccentric. Let me say this. What you describe as "amateurism", sir, is what I think most of us here still prefer to call "honour".'

 This brought a loud murmur of assent with several 'hear, hear's' and some applause.

 'What is more, sir,' his lordship went on, 'I believe I have a good idea of what you mean by "professionalism." It appears to mean getting one's way by cheating and manipulating. It appears to mean serving the dictates of greed and advantage rather than those of goodness and the desire to see justice prevail in the world. If that is the "professionalism" you refer to, sir, I don't much care for it and have no wish to acquire it.'

 This was met by the loudest burst of approval yet, followed by warm and sustained applause.


  From The Remains of the Day by Kazuo Ishiguro



 2010年8月18日

この場は石鹸箱? What is a soapbox?



昨日のカズオ・イシグロ作品からの引用に"some soap-box eccentric" という表現があった。初めてなのでウィキをリンクしたが、そこを読んでみると興味深い事実が浮かび上がってくる。

日本で言えばみかん箱に当りそうな石鹸箱。その上に立って自らの主張を道行く人に訴える景色が見えてくる。歴史的に見ると、1872年からロンドンはハイド・パークのスピーカーズ・コーナーに人が集まり、政治や宗教などについて演説、討論していた。そこから、このような演説をする人をsoapbox(石鹸箱)と呼ぶようになったようだ。特に興味深かったのは、現代におけるsoapboxはブログであると指摘していることだろうか。その場を通りかかる不特定多数の人に向けて、自らの主張を比較的自由に発信しているブロガーは現代の石鹸箱になる。




mardi 8 octobre 2013 

共生に始まり、"Never Let Me Go" で終わった4日目
 


潮の満ち干がよく分かるようになってきた
朝の内は満ちているが、お昼には干上がり、それが夕方になると再び満ちてくる
毎日、忠実にこれを繰り返している
実に不思議である

午前中のセッションは普通の発表の他に、海洋生物研の研究者が最先端の話を発表していた
これは最初プログラムになかったものである
最近注目を集めるようになっている共生がテーマで、非常に面白い話であった




午前中のセッションが終わり、ホテルに向かう途中の景色は朝とは打って変わり、この通りである
陸に打ち上げられた船のように見える


Ms. Julia Weiss(Mainz)


今日は発表だけではなく映像も担当しているマインツの医学生ユリアさんと一緒にホテルに向かった
彼女は交換留学でパリの高等師範にも半期いたようで、英語はもちろん、フランス語も流暢である
ビデオも撮れる立派なカメラで、要所を映像に収めていた
いずれ研究所のHPに載せる予定とのこと
ご自身のサイトはこちらになる




午後はロスコフ沖合にある島 L'Ile de Batz にフェリーで向かった
日差しが強く、日よけをしなければ眩しかった
20分程度で着いたのではないだろうか
この時はまだ桟橋が先まで見えている




わたしは疲れが溜まっていたので、1時間半ほど桟橋に面したこのカフェでゆっくりすることにした
ご主人も、中の造りもなかなか感じが良かった
そう言えば、オーガナイザーのアクセルさんは疲労が一気に出たのか、この観光をキャンセル
オーガナイズだけではなく、議論にも積極的に参加されていたので無理もないのかもしれない




帰りのフェリーは6時半
この時には、先ほどの桟橋がほぼ完全に水の下になっている
見ていると、静かに静かに水がこちらに向かってきた
一瞬のことだったが、津波という言葉が浮かんできた

さらに不思議だったことがある
ロスコフの桟橋からホテルに向かう途中、わたしの横で車が止まりドアが開いたことだ
二日続けて研究所の院生がホテルまで送ってくれることになった
まさに、二度あることは三度である
その状況を後ろから見ていたポーランドのマルチンさん
実に不思議な感じがした、とディネの時に語ってくれた
一体どうなっているのか、想像ができなかったからだろう

ディネでは、マインツ側の責任者パウルさんが同じテーブルにいた
ドイツでは兵役は義務付けられているようで、ご本人も15カ月間軍でトレーニングを受けたという
そこから日本の話になった
未だに多数の米軍基地が国内にあり、その費用も負担しているということを知り、皆さん驚いていた
パウルさんによると、ドイツはすべてを縮小することにしているという


Dr. Axel C. Hüntelmann、Pr. Norbert Paul


今日の最後のセッションは、カズオ・イシグロ原作の Never let me go映画を鑑賞
倫理を専門にする人は、必見とされる映画になっているようだ
上映が9時過ぎから始まり、ディスカッションが終わったのは0時であった
原作が2005年、映画が2010年になるので、すでに多くの論評が出ていることだろう
気になっていた映画をロスコフで観ることになろうとは想像もしていなかった
いろいろなことを考える時間となった




映画の中に、ロスコフで見た景色と重なるシーンがいくつかあった



dimanche 1 mars 2015 

カズオ・イシグロさんが考える小説家 



作家のカズオ・イシグロ(1954‐ )氏が10年振りに新作を出すという
The Buried Giant (March 3, 2015)
これまでは個人の記憶を扱ってきたが、今回の作品は社会の記憶についての物語らしい
彼は、年80ページのペースで書いていた
それを奥さんが読み、こう言ったという
「これじゃ全くダメ、最初から書き直さなきゃ駄目」

それは特定の場面のことではなく、 全体の語り口や登場人物同士の会話が駄目ということだった
随分ときつい言葉だったが、仕方がない
暫くの間エネルギーを補給して、ゼロから書き直した作品だという
最初からやり直さなければならなくなったところが最近のわたしと重なり、なぜか嬉しくなる

イシグロ氏が小説家のピークは30-40代だと考えていることは知っていた
今回、このことについて、こんなことを語っている

    小説家は子供時代に近いことが非常に重要だ
    なぜならば、そこから成年になる過程が小説を書くという営みにとって欠かせないから
    子供時代から離れることは、何かを失うことなのである
    30代は良いかもしれないが、60歳の人間がそう考えるのは少々気が滅入ることである





2017年10月6日金曜日

第4回サイファイ・カフェSHE札幌、無事に終わる



昨日、4回目になるサイファイ・カフェSHE札幌を開催した
いつものように、寸前まで準備に追われていた
そのせいかどうかは分からないが、電源コードを持ってこなかったことに気付かずにいた
パリカフェでも忘れひやひやしたが、今回はバッテリーの残りが殆どなくなっていて慌てる
幸いマルチタイプのものが近くの店で見つかり、胸を撫で下ろした
間違いなく、何かが進行しているようだ

今回は、内的生活をどのように捉え、どのように充実させるのがよいのかについて考えることにした
我々の中に、精神生活を重要なものとして位置付けようとするところが弱いように見えるからであった
それは個人レベルだけではなく、社会や国のレベルでも観察される
その欠落がわれわれにいろいろな不利益を齎していると考えたからでもある
講師の10年に及ぶフランスでの無為の生活の中で気付いた点を中心に紹介した
そこから現段階における内的生活の一つの形を提示できないかと考えたのである

第一に、これまでに提唱している意識の三層構造モデルについて説明
第1層は日常生活で使われる領域で、第2層は職業生活で使われるものである
この二層に留まりがちな生活では精神生活が浅く貧しいものにならざるを得ない
その上で、この二層を超えた全的生活が占める第3層を充実させることが重要になることを指摘した
そこでは、瞑想や省察が行われる
無を目指すのではなく、活発に記憶の中を歩き回り、繋がりを探すのである
この層の開拓は、「考える葦」である人間に課せられた義務として捉えることもできるだろう
さらに言えば、それは人生の目的と言っても良いものである

第二に、第3層の充実には時間をたっぷり取って自らを振り返る瞑想や省察が欠かせない
つまり、暇がなければならないのである
西欧では、ジョン・カバット・ジン博士が無宗教の瞑想として広めたマインドフルネスがある
「いま」の経験に注意を集中して心を開き、ネガティブなものも受け入れる姿勢が求められる
そして、その中に入り込むのではなく、少し離れて対応することが重要になるという
この点で、わたしが行っている瞑想とは明らかに異なることが分かる
マインドフルネスのプログラムを行うことで、身体にも良い効果が出るという結果が蓄積している
例えば、疼痛、ストレス、不安の軽減、免疫増強、うつ病再発予防、心血管系の改善も齎すという

また、特定のタスクをするのではなく、こころを彷徨わせた状態で活性化されるものにDMNがある
デフォルトモードネットワークである
これは記憶の蓄積や引き出し、これから起こることに対する準備などに重要な役割があるという
さらに、創造性や芸術性にも関与している可能性も指摘されている
瞑想は、このDMNと自己の統御に関与する領域との機能的な連絡を増強する効果があると言われる
DMNによる活発な活動に対し、抑制的に作用するということだろうか

そして第三には、瞑想にも関連するストア哲学について簡単に紹介して意見交換に入った
その中で指摘された問題として、わたしも感じていることがあった
それは、充実した内的生活を送るには、仕事から離れた暇な時間が不可欠になる
しかし、それを実現することは、仕事に追われている現役には難しいのではないかという点である
講師はその時間に恵まれているが、我々はどうすればよいのかという問いであった

これに対してまず言えることは、上で述べた内的生活、特に第三層の重要性を意識することだろう
その上で、少しでもその実現に向けて試みることである
各自が試行錯誤して獲得するしかないのではないだろうか
ここで忘れてならないのは、瞑想や省察の前には生の経験がなければならないことである
つまり、静は重要ではあるが、動を軽視してはならないことである
動の蓄積にも生き生きとした哲学を生み出す力があるように感じているからだ

今回は直前で急用のために参加できなくなった方がおられた
また、岐阜から着いたばかりで空港から駆けつけてくれた若者もいて議論が盛り上がっていた
それは懇親会においても衰えることはなかった
次回も若手の参加を期待したい

お忙しい中、参加して議論に加わっていただいた皆様に改めて感謝したい


会のまとめ






2017年10月1日日曜日

活動の月に入る



月並みだが、時の流れは速いものである
今年も残すところ3か月となった

今月は活動の月になる
結構大変なスケジュールだが、どれだけできるだろうか
今は分からない

取りあえず、この時差ぼけを直さなければならない
直感に過ぎないが、春よりは軽症で終わるのではないだろうか
そう願いたいものである